2022.03.24
1996年に放送が開始されたアニメ「ドラゴンボールGT」。その主題歌は、FIELD OF VIEWが4枚目のシングルとして発売した『DAN DAN 心魅かれてく』でした。
当時中学生だった筆者は、FIELD OF VIEWの『突然』や『君がいたから』などのヒット曲を夢中で聴いていました。フロントマンの浅岡雄也さんといえば、甘く切ないラブソングを真摯に歌い上げる好青年。そんなFIELD OF VIEWがドラゴンボールの主題歌を歌うと知り、ワクワクしたのを覚えています。
ドラゴンボールGTの世界観とマッチした『DAN DAN 心魅かれてく』は、国内はもとより、世界中のファンから愛される名曲となりました。浅岡さんはどんな思いでこの曲を歌い続けてきたのでしょうか。レコーディング時の秘話や、時代を彩った楽曲制作陣とのエピソードを交えて語ってもらいました。
※取材は新型コロナウイルス感染症の予防対策を講じた上で実施しました
浅岡雄也さん
1969年生まれ。東京都出身の歌手。1995年5月 FIELD OF VIEW としてデビュー。 清涼飲料水CMソングとして使用された2ndSingle『突然 』は123万枚のミリオンヒットとなる。 ドラゴンボールGT主題歌『DAN DAN 心魅かれてく』、遊☆戯☆王のオープニングテーマ『渇いた叫び』も大ヒットし、2002年FIELD OF VIEW解散後は精力的にソロ活動を続けている。
・聞き手:多田慎介
1983年生まれのフリーライター。四人きょうだいの末っ子。兄たちの影響で、物心ついたころにはアニメ『ドラゴンボール』を毎週欠かさず見るようになっていた。好きな敵キャラクターはサイバイマン。
ーー『DAN DAN 心魅かれてく』がリリースされて、今年で26年になります。
浅岡:あの頃からもう、四半世紀以上が過ぎたんですね。当時はここまで長く愛される楽曲になるなんて想像もしていませんでした。
ーー今回はこの曲にまつわるエピソードを伺いながら、歌い手である浅岡さんの魅力に迫っていきたいと思っています。まずは浅岡さんの音楽活動の原点を教えてください。
浅岡:子どもの頃、最初に好きになったのはYMO(YELLOW MAGIC ORCHESTRA)でした。ドラムを叩く高橋幸宏さんの姿を見て、かっこいいなあって。
それからしばらく経って、中学2年のころかな。新宿LOFTにBOØWYのライブを観に行ったんですよ。ステージに立つ氷室京介さんに完全に“やられましたね”。本当にかっこよかった。「俺も歌手になりたい!」と強く憧れました。本気で音楽の道を進もうと思った原点は、あの新宿LOFT(※1)のライブだと思います。
ーーFIELD OF VIEW 以前の浅岡さんは、パンク・ロック風な音楽性が特徴の「Missing Peace」(ミッシングピース)や、ストレートなロックサウンドの「PANDORA」(パンドラ)で活動していますね。
浅岡:当時はいわゆる「ホコ天(歩行者天国)バンド」や「ビジュアル系バンド」がたくさん登場して、勢いがありました。僕もそうした流れに乗りたいと思って活動していたんですよ。とにかく目立たないと勝てないから、オレンジ色のスーツを着てラバーソウルを履いて髪の毛を立てて……。
でも、ある日ふと思ったんです。「今は楽しいかもしれないけど、50歳になっても同じ音楽性で続けられるんだろうか?」って。当時売れていたバンドは瞬間風速的に上り詰めて日本武道館のステージに立つこともあったけど、その後は失速して消えていってしまうことも珍しくなかった。ただ消費されて消えていくだけの音楽はやりたくないと考え、いろいろと模索した先にたどり着いたのがビーイング(※2)でした。
(※1)新宿・歌舞伎町にある老舗のライブハウス
(※2)東京都港区にある、音楽制作会社、レコード会社及びアーティストマネジメントオフィス
ーービーイングとの出会いのきっかけは?
浅岡:FIELD OF VIEWのメンバーで最初にビーイングに所属したのは、ギターの小田孝くんだったんですよ。彼と一緒にバンドを組むメンバーを探すためのデモテープ募集が始まり、そこに僕が応募しました。22歳のときですね。
するとすぐに連絡が来て、都内のカラオケボックスでオーディションを行うことになって、ビーイング所属のアーティストの曲をたくさん歌いました(笑)。で、その場で「OK、契約しよう」と言われて。
ーーすごい展開ですね(笑)。当時、ビーイングといえば時代を代表するヒット曲を連発していて、僕も所属バンドやアーティストが大好きでした
浅岡:TUBEにはじまり、B’z、ZARD、T-BOLAN、WANDS……。本当にすごい先輩たちがたくさんいましたよ。あの頃のビーイング内部にいて、ヒット曲が続々と生まれていく場面を見られたことは僕の大きな財産になっています。
その分、大変なこともたくさんありましたけどね。プロデューサーが「3日寝ていない」なんて日常茶飯事だったし、僕たちもFIELD OF VIEWを結成してからはひたすら曲作りを続ける毎日でした。でも苦しいとか嫌だとか感じることはなくて、お金をもらいながら学ばせてもらっている感覚でした。
ーーFIELD OF VIEWのデビューシングル『君がいたから』はドラマ主題歌としても話題となりましたよね。それまでのビーイングに所属するバンドのイメージと違い、ビシッとスーツを着て、背筋を伸ばして歌う浅岡さんの姿が印象的でした。
浅岡:たしかに、ウチからは少し路線が変わりましたね。
FIELD OF VIEWには、「お金持ちのお坊ちゃんたちが遊びでロックバンドをやっている」という裏コンセプトがあったんですよ。他のバンドやグループにもそれぞれコンセプトがあって違いが生まれていたんです。
ビジュアル系時代の僕はマイクを持ってステージ上を暴れていましたが、FIELD OF VIEWの音楽性とコンセプトにおいては、きちんと歌う自分を演出していました。昔の僕を知っている人からは「偽善者だ!」なんて言われたこともありましたよ(笑)。でも僕自身は、そうした振れ幅も楽しんでいました。
ーー『突然』『Last Good-bye』のヒットに続き、1996年には4枚目のシングル『DAN DAN 心魅かれてく』が「ドラゴンボールGT」主題歌として発売されます。
浅岡:「作詞:坂井泉水、作曲:織田哲郎、編曲:葉山たけし」という、当時のビーイング最強の布陣で作られた曲です。
最初に織田さんからギター1本だけで歌うデモテープを渡され、聴いたときに、「これはすばらしい曲だな」と思いました。そこから稀代のアレンジャー・葉山さんの編曲が入ります。僕たちからすれば織田さんも葉山さんも雲の上の存在でしたが、気さくに接してくれる先輩たちでもあり、いろいろと意見交換しながら楽曲制作を進めていました。
一方、当時の僕はまだまだ若くて、自分で詞を書き、クレジットに自分の名前を入れたいという功名心にも駆られていたんですよ。「作詞:浅岡雄也、作曲:織田哲郎、編曲:葉山たけし」になったら最高じゃん、ってね。
そんななか、坂井泉水さんの書いた詞がFAXで送られてきました。僕は僕で書いていたんですが、坂井さんの詞は僕のよりも圧倒的にキャッチーで、「これは勝てない」と思いました。
ーー『DAN DAN 心魅かれてく』の歌詞の魅力、浅岡さんはどのように感じていますか?
浅岡:最初はね、ものすごくキャッチーで素敵だなと思いつつ、「ちょっと不思議な詞だな」とも感じたんですよ。
というのも、詞をどうやってオケに当てはめて歌うのかが分からない部分があったから。例えば1番のサビに入る直前には「少しだけ振り向きたくなるような時もあるけど」という一節があります。どのように文節を区切って歌うんだろう? と思って、レコーディングに入ってからも試行錯誤していました。
すると坂井さんが歌うデモテープが届き、歌い方の指定があったんです。
「少しだけ・振り・向き・たくなるような・時も・あるけど……」
「そう区切るのか!」と驚きましたよ。これは後々、織田さんも分析していたんですが、坂井さんの詞と歌には独自の文節の切り方があって、従来の曲とはまるで違い、新しい魅力につながっているんですよね。
ーー『DAN DAN 心魅かれてく』について、作曲者である織田哲郎さんは自身のYouTubeチャンネルで「浅岡さんの“突き抜けた声”があってこその曲だ」と解説しています。浅岡さんが歌い手としてこだわっている部分は?
浅岡:CDと同じように歌うことです。歌い手さんの中には、何回も歌い続けた曲に飽きてしまい、歌い方を変える人もいるんですよ。でも僕は一切変えません。譜割りもレコーディング時のまま。26年経った今でも当時と同じように歌えているという自負があります。
むしろ当時より僕の歌の技術は上がっていると思うんですが、CDと同じように歌うため、自分の歌唱レベルを昔の水準にあえて落として歌っているくらいです。
ーーなぜそこまで「CDの再現」にこだわるのでしょうか。
浅岡:例えばイーグルス(※3)が『ホテル・カリフォルニア』のギターソロを変えて弾いていたら「ちくしょう、なんで変えるんだ!」って思うじゃないですか。ファンの心理って、そういうものだと思うんですよね。あの歌を再現できるのは僕しかいないんだから、ちゃんと変えずに歌いきるのは僕にとって当たり前のことなんです。
ーーショーマンシップ、ですね。
浅岡:ヒットして愛されている曲は、もはや僕の歌ではなくみなさんの歌ですから。『DAN DAN 心魅かれてく』は、僕が27歳のときにレコーディングした曲で、52歳になった今の感性では「青臭いなあ」と感じる部分もあります。その青臭さも含めて再現し続けていくことが僕の責任だと考えています。
(※3) 1971年にデビューしたアメリカ西海岸を拠点とするロックバンド
ーーその一方で、『DAN DAN 心魅かれてく』は世代を超えてたくさんのアーティストにカバーされています。
浅岡:うれしいことですね。僕が聴いたカバーのなかで完璧だと思ったのは中川翔子さん。中川さんはキーを上げてカバーしているんですが、キーを原曲に下げると、僕の歌い方を完全にトレースしてくれていることが分かるんです。あまりにも感動して本人に伝えたくらい(笑)。
ちなみに『DAN DAN 心魅かれてく』は海外でもたくさんカバーされているんですよ。僕が世界中のアニソンフェスに呼んでもらえるのも、この曲のおかげです。
ーー海外のファンの反応はどのように捉えていますか?
浅岡:これまでにブラジルやドイツ、中国などのアニソンフェスに出演させてもらいました。どの国でもファンのみなさんは日本語で一緒に歌ってくれます。ドラゴンボールは本当にすごい。国境を越えてここまで愛されている作品はなかなかありませんよね。
ーーまさに、世界中のファンに愛される曲となっているんですね。浅岡さんは「ドラゴンボールゲームスバトルアワー2022」(※4)のステージにも登場してくれました。
浅岡:ドラゴンボールの公式イベントだから、いつも以上に真剣に、“あの頃のまま”の『DAN DAN 心魅かれてく』を歌いました。それだけ魂を込めて歌ったので、楽しんでもらえたらと思います。
(※4) 2022年2月19日(土)・20日(日)に開催。マンガ・アニメーション・映画・ゲーム・フィギュア・玩具の魅力的な最新コンテンツを詰め込んだ全世界同時配信型オンラインイベント。ユーザーは自身のアバターで「オンラインアリーナ」に参加でき、ハーフタイムショーでは浅岡雄也さんが登場して『DAN DAN 心魅かれてく』を披露した。浅岡さんのライブシーンは6:04:02〜より。
ーーありがとうございます。浅岡さんは今後、『DAN DAN 心魅かれてく』をどのように歌い継いでいきたいと考えていますか?
浅岡:これまでと変わらず、CDのクオリティを再現し続けることにこだわっていきます。今の目標は60歳になっても原曲キーで歌うこと。それが達成できたら、還暦祝いの赤いスーツを仕立てて歌いたいですね(笑)。
写真:鶴田真実
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