2021.11.18
タレントの中川翔子さんは芸能界屈指のドラゴンボール好きとして知られています。
幼い頃、初めてドラゴンボールに触れた時は「内臓の底から」面白いと感じたそう。その衝撃が忘れられず、今なお原作を毎年1回は読み返すほど、ドラゴンボールを深く愛しています。
そんな中川さんは、ドラゴンボールでどのような人生を紡いできたのでしょうか。
今回、仕事でもプライベートでもドラゴンボールと縁の多い人生を歩んできた中川さんにインタビューを敢行。ドラゴンボールにまつわる思い出から、好きなキャラクターやシーン、亡き父とドラゴンボールの関係など、中川さんの人生とドラゴンボールのつながりを掘り下げました。
※取材は新型コロナウイルス感染症の予防対策を講じた上で実施しました
——まずは、ドラゴンボールとの出会いや幼少期の思い出を教えてください。
中川翔子さん(以下、中川):もう、物心ついた時からドラゴンボールをリアルタイムで“浴びて”いました! ちょうど『ドラゴンボールZ』のアニメが放送されていた頃で。当時のドラゴンボールのアニメって前回のあらすじシーンが長くて、本編がすごく短く感じるんですよね(笑)。
だから、余計に次の1週間が待ち遠しかった。今でも覚えているのは、はごろもフーズとロートこどもソフトのCM。(ロートこどもソフトのCMは)「ドラゴンケースに入れてね!」っていうセリフが印象的で。
——ああ! ありましたね、懐かしいです。中川さんはアニメからドラゴンボールに入ったんですね。
中川:そうですね。鍵っ子で、いつも1人で留守番していたので、アニメにどっぷり漬かっていました。
今も忘れられないエピソードがあって。悟飯とセルの最終決戦が放送された回、祖母に付き添って教会で待ってなきゃいけないことになって、「(アニメが)リアルタイムで観られない!」と号泣したんです。
その様子を見かねた牧師さんが小さな携帯用テレビでこっそり観せてくれて。そのシチュエーションもあいまって、親子かめはめ波のシーンは感動が倍増しました。
——いい話ですね……。
中川:あ、アニメといえば、レンタルビデオ屋さんで「劇場版ドラゴンボール」のビデオを借りて家で観ていましたね。特に、ブロリーが登場する『劇場版 ドラゴンボールZ 燃えつきろ!! 熱戦・烈戦・超激戦』(1993年)が好きでした。
劇場版のドラゴンボールって、定番の展開があるのがいいんですよね。最初は平和な日常シーンが描かれて、そこにヤバい敵が現れて、いい線までいくんだけどボコボコにされて。ベジータがめっちゃネガティブになって、ピッコロさんが助けにきてくれて、最後は元気玉でなんとかする。やっぱりこれ! このフルコースで健康になれる!
——映像作品以外だと、どのような楽しみ方をしていましたか?
中川:例えば当時、「コロちゃんパック」っていうドラゴンボールの楽曲が何曲か入った、絵本付きのカセットテープがあって。そのカセットテープを毎晩聴きながら寝ていましたね。小学生の頃はドラゴンボールのおかげで毎日がキラキラ輝いていたなって思います。
——学校の友達と楽しんだことも?
中川:友達との思い出といえば、やっぱりカードダスです。 キラ(注:レアカード。正式名称は「プリズム」)が出たら男子に自慢したり、逆にお金持ちの男の子がダブったカードをくれたりして。
そういえば、駄菓子屋にはカードダスと似たような「アマダのPPカード」っていうのも売っていたんですよ。戦闘力が書いてあって、紙のパッケージに入っているやつ。ヤバい! 話していたら欲しくなってきました!
——(笑)。
中川:それから、「きゃらかーん」っていう商品もありましたよね! 缶の上にプラスチックのフタが付いていて、そのフタの中にキャラクターの人形(おまけ)が入っている缶ジュース。当時は悟空が「きゃらか〜ん!」って叫ぶCMが放送されてましたね。あ! 実は最近、まんだらけさんの倉庫にきゃらかーん(のおまけ)が置いてあるのを見つけたんです。……ていうか令和できゃらかーんって単語を使う人、少ないですよね(笑)。
——原作に絡めたお話もお伺いさせてください。今でも年1回は原作を読み返すとお聞きしましたが、初めて読んだのはいつ頃でしたか?
中川:アニメにハマった後ですね。ちょうどナメック星編の途中から読み始めて、誰が死んでしまうか分からないシリアスな展開に恐怖を感じ、引き込まれたのを覚えています。でも、その怖さもワクワクできるし、内臓の底から面白い! って思えるんです。
それに、恋愛の描写がサラッとしているところもいいですよね。当時は少女漫画もたくさん読んでいましたが、それでも「色恋より戦いが見たい!」と思う時はあって(笑)。
——好きなキャラクターやセリフ、シーンを教えていただけますか。
中川:今も昔も大好きなキャラクターはトランクスです! 初登場の時からもうカッコいい。まず、Gジャンを着ているのがすごく新鮮でした。ドラゴンボールって道着を着ているキャラクターが多いですからね。
トランクスで私の“癖(へき)”が決まったと言っても過言ではありません。銀髪の敬語男子、最高です。特にツボなのが、セル編で「精神と時の部屋」から出てきた時の長髪トランクス。もう、かわいくてたまんないですね! ご飯をおごってあげたい。
——(笑)。「未来トランクス」は女性からの人気も高いですよね。
中川:あと、ベジータも好きなんです。「がんばれカカロット…お前がナンバー1だ!!」とか「トランクス…………ブルマを…ママを大切にしろよ…………」とか、名言がとにかく多くて。悟空とは最初本気で殺し合っていたのに、いつの間にか戦友になって、相手をリスペクトする気持ちや優しさをちょっとずつ表すようになっていくのが、もうたまらない!
——中川さんは以前、「ドラゴンボールは親から子へと受け継がれし想いにグッとくる」という旨のツイートをしています。ベジータとトランクスの親子にはその想いが感じられますよね。
中川:ベジータとトランクスの関係、素敵ですよね。セル編でも、ベジータはあまりトランクスに構わないんですけど、たまに「親としての顔」を見せるんです。多くを語らず、生き様で見せる。その姿がカッコいいなって思います。
特に、トランクスが未来に帰る時、中指と人差し指を立てて無言で見送るシーン! あの“指”が大好きなんです。ベジータ、こんなことする人じゃなかったのに! 冷酷に人を殺して「きたねえ花火だ」とか言ってたような人だったのに! それに対してトランクスがにこっと微笑んで……トランクスいい子〜!
——そう言われると、ドラゴンボールって「親子の物語」という見方もできそうですね。
中川:そうですね。親子のシーンで特に心に残っているのは、先ほども紹介しましたが、セル編の「親子かめはめ波」です。死んでしまって、もう生き返れない悟空が、天から息子を激励するあのシーンはいつ見ても感動します。
あのシーンを見ると、早くに亡くなった私の父を思い出すんです。親子の会話もあまり持てず仕舞いだったのですが、結局私も父と同じく芸能界に入って、歌に演技にいろいろなお仕事をするマルチな感じも父とそっくりで。「やっぱり血ってあるのかな」ってふと思うことがあります。
私が歌っている時、きっと父は親子かめはめ波の時の悟空みたいに私と一緒に歌ってくれていると思うんです。ドラゴンボールって血の物語でもありますよね。そもそも悟空や悟飯、ベジータはサイヤ人だから強いので。
——中川さんは著書『ねこのあしあと』(マガジンハウス)にもご自身の血筋の話をつづっていますね。
中川:以前、『ファミリーヒストリー』(NHK)という番組で自分の血筋を調べてくださる機会があり、母方にも父や自分と同じく絵を描く人や猫が好きな人がいっぱいいることが分かったんです。「ああ、血筋だな」って思いました。サイヤ人のように、そうやって自分のルーツを意識することが最近増えましたね。
一方で、血を飛び越えた愛情があることも、ドラゴンボールは教えてくれたように思います。サイヤ人だとか地球人だとか関係なく、悟空はじっちゃんが大好きで、だからこそじっちゃんの名前をそのまま息子に付けて。そうやって受け継がれるものもあるんだなって。
ピッコロさんと悟飯の関係も、ある意味で親子関係だと思うんです。悟飯を特訓するシーンで、ピッコロさんは基本的に悟飯にすべてやらせて、悟飯が限界の時だけそっと支えていましたよね。悟飯がピッコロさんをすごくリスペクトするのも、あの特訓があったからこそだと思います。
——中川さんの人生とドラゴンボールのつながりをもう少しお伺いさせてください。中川さんは2014年のツイートで「心の口ぐせを悟空のように“まっ、いいか!”にしたらネガティブシンキングの癖が治った」と明かしておられますね。
中川:悟空ってポジティブな切り替えの達人だと思うんです。チチとの結婚も「まっ、いいか!」で決めていたし。私もその姿勢をすごくリスペクトしています。働こうとしないところ※以外は(笑)。些細なことで悩んだり落ち込んだりする癖があるんですけど、そういう時は「まっ、いいか!」で気持ちの落ち込みを抑えるようにしています。
※アニメ版の『ドラゴンボール超』では野菜配達やガードマンの仕事をするシーンも登場する
——他に、これまでの人生で、ドラゴンボールのキャラクターや世界観に救われたり、影響を受けたりした経験はありますか?
中川:やらなきゃいけないことが捗らない時は、「精神と時の部屋」のことを考えるようにしています。「あー、精神と時の部屋で一気に終わらせたい。でも、そんな部屋ないんだよね」って一度考えると、「じゃあ、やるしかない!」って気持ちが切り替わるんです。
お仕事でドラゴンボールに助けられたこともあります。まだ私がテレビにあまり出ていない頃、ある番組で和田アキ子さんとご一緒したんです。私がオタクであることに興味を持ってくださった和田さんに、そこでドラゴンボールを勧めました。
すると、原作を全巻買って読んでくださったんですよ! 後から「しょこたんのおかげでドラゴンボールを知れた。読んだら面白かった。悟空がかわいくてね」って言っていただけて。
——ドラゴンボールが人と人をつないでくれることもあるんですね。
中川:ドラゴンボールが架け橋になってくれたことって何度もあります。ドラゴンボールって、自分とタイプの違う人や初対面の人でも一緒に盛り上がれる魔法のパスポートなんです。「ナメック星のポルンガを呼び出す呪文覚えてますか?」って相手に聞いたら、「タッカラプト・ポッポルンガ・プピリット・パロですよね!」って返ってくるみたいに。
——さすが。すらすらと呪文が出てきましたね……!
中川:もし宇宙人が「面白いものを見せないと地球を滅ぼすぞ」って攻めてきても、ドラゴンボールを見せてあげれば解決するんじゃないかなと思うほどの万能感があります。そして、この魔法のパスポートがあれば、海外の人とも盛り上がれるんです。
フランスのコスプレフェスに出演した時、超サイヤ人のコスプレをしている現地の少年に「私、ドラゴンボールの声優をやったことあるんだよ」って言ったら「えっ! 誰!?」ってすごくびっくりされて。でも「予言魚※だよ」って言ったら、当時はまだ映画が公開されていなかったせいか「ふーん……」って反応でしたけど(笑)。
※2013年公開の映画『ドラゴンボールZ 神と神 』で中川さんは予言魚役を務めた
——(笑)。そうやってドラゴンボールは世代や国境を超え、現在も多くの人々に愛され続けています。中川さんはこれから先、ドラゴンボールどう愛していきますか?
中川:“義務教育”として、若い世代の人にドラゴンボールの良さを伝えていきたい、とは思います。けど、誰かに押し付けるようなことはせず、今後も「ドラゴンボール最高!」ってただ言い続けていきたいです。
中川翔子さん:1985年、東京都出身。2002年にミス週刊少年マガジンを受賞し、芸能界デビュー。2006年に「Brilliant Dream」でCDデビュー。2007年「空色デイズ」でNHK紅白歌合戦初出場。歌、司会、声優、女優、執筆、イラスト等々、幅広く活躍する。著書に『「死ぬんじゃねーぞ!!」 いじめられている君はゼッタイ悪くない』(文藝春秋)など。YouTubeチャンネル・中川翔子の「ヲ」を運営。
取材・文:山田井ユウキ
写真:関口佳代
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