2021.12.09
名シーンの多いドラゴンボールですが、印象深いエピソードと聞いて、孫悟飯とピッコロの特訓を思い出す人は多いのではないでしょうか。悟空と敵対関係にありながらその息子である悟飯を鍛え上げるピッコロ、そして修業を通じて二人の関係が変化していく一連の流れは、作中でも非常に人気のあるエピソードのひとつです。
とはいえ、地球に襲い来るベジータ・ナッパを迎え撃つため、ピッコロに鍛えられていた頃の悟飯はわずか4歳。獣がはびこる土地で6か月間放置され、その後はピッコロとの闘いの日々……いくら悟飯に才能があったとしても、修業の辛さは生半可なものではなかったはず。悟飯はどのようにして修業を乗り越え、さらにピッコロと信頼関係を育んでいったのか、作中に描かれていない過程についてもついつい考察してしまいます。
そこで今回は、東京大学の教授で、発達心理学の専門家である遠藤利彦先生に「ピッコロと悟飯の師弟関係」についてお話を伺いました。遠藤先生の解説を読んだ後には、二人の師弟関係の見え方が少し変わるはずです。
語り手:遠藤利彦先生
東京大学大学院教育学研究科教授。発達保育実践政策学センター (Cedep)・センター長。東京大学教育学部卒、同大学院教育学研究科博士課程単位取得退学。博士(心理学)(九州大学)、聖心女子大学専任講師、九州大学大学院助教授、京都大学大学院教育学研究科准教授などを歴任。著書に『「情の理」論-情動の合理性をめぐる心理学的考究』など。
記事構成:まいしろ
エンタメ分析家。データ分析やインタビューを通して、なんでもないことを真剣に調べてみた記事をたくさん書いてます。よく書いているのはYahoo個人、デイリーポータルZなど。音楽・映画・漫画が特に好き!
※取材はリモートで実施しました
——まず、悟飯に対するピッコロの指導を見て感じたことがあればお伺いしたいです。
【悟飯は当初、突然始まった修業に困惑していた】
遠藤利彦先生(以下、遠藤):ピッコロが悟飯にしたことは、必ずしも「指導」とは言えないように感じます。
ピッコロと悟飯の関係は、ピッコロが悟飯にいろんなものを教え込んで「指導」するというものではなく、悟飯の学びをピッコロが「支える」というものだと思います。
——確かに、ピッコロが1から10まで教えてしまうのではなく、長期間一人で放置するなど、悟飯が自発的に成長するのをサポートしているように見えます。
遠藤:子どもというのは、生まれたときから何かを学ぼうとする生き物なんです。いまの教育では、「先生があらかじめ決まった内容を生徒に教え込む」というやり方を見直すようになってきていて、子どもが自発的に学ぶことの方が大事だとされています。
そう考えると、ピッコロが「最初はあえて戦闘のことを教えずに放置した」というのは、大きな意味があったと思います。
——あの過酷な方法に科学的な意味があったとは...!
遠藤:ただ、放置したと言いつつ、ピッコロは悟飯の心の支えではあったと思うんですね。「何かあったら、最後はピッコロさんが助けてくれる」と心のどこかでは悟飯は思っていて、発達心理学でいう「安全な避難場所と安心の基地」にピッコロはなっていたんだと思います。
これは大人と子どもの関係の中でも重要です。「姿は見えなくても、頑張っている自分を認めて応援してくれる存在」は子どもの成長に大きく影響します。そういう存在に支えられているからこそ、子どもは「探索活動」と呼ばれるいろんなものへのチャレンジや、創作・スキルアップなどができるようになります。
【放置期間中、ピッコロは姿こそ見せないものの、食料や服を悟飯に与えた】
——ピッコロが積極的に「安全な避難場所と安心の基地」になろうとしていたかはわかりませんが、確かに悟飯の方は少なからずピッコロが心の支えになっていたように思います。
遠藤:あとは、心理学のひとつの考え方に「認知的徒弟制」というものがあります。昔の「師匠に弟子入りして、その中で芸や技を身につける」という学びの形です。
これは4段階に分けられると言われていて、1つ目は「モデリング」です。師匠を観察して、ひたすら「すごい!」と感じ「自分もあんな風になりたい」と尊敬と憧れを抱きます。
そして2つ目が「コーチング」です。この段階では、隠れて師匠のマネを繰り返すようになります。でも、まだまだ未熟なので師匠から「もっとこうしたらいいんじゃないのか?」という助言をもらい、自分の技を磨いていきます。
そうやってだんだん師匠の水準にまで近づいてくると、3つ目の「スキャフォールディング」に入ります。スキャフォールディングは「足場づくり」という意味で、あと一息というところまで来ている弟子に、師匠が足場を作ってあげて、一人で乗り越えられるようにしてあげるという段階です。
そして最後に「フェーディング」に入ります。技がほぼ完成した弟子から師匠が手を引いき、弟子は独り立ちをします。
※ライター作成
遠藤:ピッコロと悟飯の関係は、この「認知的徒弟制」にそのまま沿ったものになっていると考えます。最初は怖かったピッコロから、助言を受けて、助けてもらい、最後は悟飯が独り立ちをする。高い芸や技を身につけるために重要なことが、ドラゴンボールではたくさん描かれているように思います。
【食事と睡眠以外の時間、ピッコロはつきっきりで悟飯に闘い方を教えていた】
——ピッコロのやり方は、科学的にも根拠がある理にかなったものだということはわかりましたが、「それにしてもピッコロは4歳児からしたら怖すぎるんじゃないか」という気はします。
遠藤:子どもというのは、一人ひとり生まれたときから個性を持っていて、この生まれ持った個性を心理学では「気質」と言います。教育ではこの「気質」を見抜いて、それにあった「環境」を用意するという、気質と環境のマッチが非常に重要です。
なので、作中では描かれていないかもしれませんが、ピッコロは悟飯の気質を見抜き「悟飯ならたとえ『怖い』と思った相手でも、それを乗り越えて大きなことを成し遂げる」と考えていたのかもしれません。
——ピッコロが怖すぎて悟飯が逃げたり、諦めてしまうという可能性もあったと思いますが、悟飯がそうならずにいられたのはなぜでしょうか?
遠藤:悟飯の自制心の強さを、ピッコロが見抜いていたのだと思います。4歳の子どもは、将来のことを考えて我慢をする、感情をコントロールする、ということができるようになってくる年頃でもあります。
【初めて会うブルマに年齢を聞かれ、敬語で答える悟飯】
遠藤:ただ、そういった自制心にはかなり個人差があります。ピッコロは、悟飯の自制心を見抜いたうえで、厳しく接していたのかなと思います。
それから、悟飯が「レジリエンス」の豊かな子どもだったというのもあるでしょうね。
——「レジリエンス」とはなんでしょうか?
遠藤:もともとは「弾力性」という意味で、外からプレッシャーがかかっても、それを押し戻して元に戻る力のことを言います。心のたくましさ、しなやかさとも言えますが、悟飯はこれがかなり豊かだったと考えられます。
ピッコロはそれを見越していたからこそ、放置したり厳しい修業をさせたりしていたんでしょう。
——ピッコロだけでなく、悟飯の方にもピッコロの修業に耐えるだけの才能があったということですね。
【ピッコロとの修業に耐えた悟飯は、サイヤ人の気を感じ取れるようになっていた】
遠藤:ただ作中の悟飯を見ていると、特に大人っぽく描かれているわけでもなく、現実の4歳とあまり変わらない子どもという印象です。
この年頃は「自分はどういう子どもなのか」「他の人にどう思われているのか」といったことを理解して、敏感になっていく頃でもあります。そういう心の力を身につけていく頃の子どもの、自然な様子が描かれていると思いました。
——悟飯やピッコロの卓越した才能を描きながら、一方で本当の子どものようなリアルさも持たせているところが、ドラゴンボールの魅力のひとつになっているのかもしれないですね。
——ピッコロと悟飯は実の親子ではなく師弟という関係ですが、幼い頃から「親でも親戚でもない師匠がいる」というのは、やや珍しい状況のように思います。
【修業期間中のとある夜、悟飯と話をするピッコロ】
遠藤:これは最近よく言われていることなのですが、人間の子どもというのは、他の動物に比べて大人になるまでが長く、手もかかるんですね。だから、子どもは昔から血縁に関係なく、たくさんの大人に支えられて育ってきたんです。
これは「集団共同型子育て」と呼ばれるもので、子どもが親以外の大人とも普通に接して、そこからたくさんのことを学ぶのは、普通のことだとも言えるんです。
——血縁ではないピッコロと悟飯の関係は、ある意味正当派の関係とも言えるんですね。悟飯の変化を追いかけていくと、修業を始めてからどんどん積極的になっていったように思います。修業を始めてから、ピッコロと悟飯の関係にはどのような変化があったのでしょうか?
遠藤:目に見えないところで、関係がどんどん深まっているのは感じます。悟飯はピッコロのすごさに気づき、自分に寄せられている期待を感じ取り、信頼を抱くようになっていますよね。
一方でピッコロにも変化があります。発達というのは子どものときだけするものと考えられがちですが、大人になっても一生続いていくものなんですね。
「世代継承性」といって、ピッコロぐらいの精神的に成熟した大人であれば、「自分が獲得したものを、次の世代に伝えていく」ことに関心や喜びを感じるようになります。そしてそれが、本人の成長発達にも繫がります。
ですから悟飯の修業をすることで、ピッコロ自身も発達をしていたと言えそうです。
——ピッコロが身を挺して敵から悟飯をかばうシーンは、初期のピッコロのことを考えると想像できないことだったので、「悟飯との関係を通じてピッコロ自身も発達していった」という説には非常に感じ入るものがあります。一方で、ピッコロにかばわれた悟飯のことも気にかかるのですが、「師匠を失う」ということはその後の成長にどういった影響があるのでしょうか?
遠藤:「大切な人を喪失したときに、しっかりと悲しむことができるか」が次の成長に影響してきます。これは「喪の仕事(モーニングワーク)」とも呼ばれるもので、きちんと悲しむことで気持ちを立て直し、次のステップにつなげることができるんですね。
確かに目の前のピッコロは、一度いなくなってしまったかもしれません。でも、その考え方や想いを心のより所にして、悟飯が自分自身をより磨いていくことはできると思います。
——作中の悟飯は、その後も大人たちを驚かせるほどの目覚ましい成長を遂げていきます。その成長の裏にもしかしたら今回伺ったようなメカニズムがあったのかもしれないと思うと、改めて原作を読み返したくなりました。貴重なお話をどうもありがとうございました!
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