2024.03.29
ハイスクールに通うようになった悟飯が、黄金の戦士の正体が自分であることを隠すため、考案したヒーロー「グレートサイヤマン」。奇抜な衣装で正体を隠しながら、悟飯扮するグレートサイヤマンは警察の手に負えない悪党たちを成敗していきます。
大金を稼ぐわけでもなく、名誉を得るわけでもない。ただただ、街の平和のために悪党を懲らしめるグレートサイヤマンは、どのようなヒーローといえるのでしょうか。山口大学経済学部教授で、文化心理学の知見から古今東西のヒーローを研究している武本Timothy先生にグレートサイヤマンについて考察してもらったところ、意外な結論にたどり着きました。
語り手:武本Timothy先生
山口大学経済学部教授。イギリスロンドン生まれ。エディンバラ大学修士(日本学)、久留米大学博士課程満期退学。専門は文化心理学。24歳から日本に居住し、日本文化を宗教・文化・哲学などの知見に基づいて研究している。主な研究対象は、漫画やアニメなどのサブカルチャー、観光、経営、武道など。
聞き手:島袋龍太
フリーライター。集英社オンライン、現代ビジネス、BizZineなど、WEBメディアを中心に取材執筆。幼児期は電車、恐竜、カブトムシ、クワガタには目もくれず、特撮ヒーローに夢中だった。
――武本先生が研究している文化心理学って、どんな学問なんですか。
武本先生(以下、武本):文化心理学は、ある文化が出来上がった背景にある人間の心理や、その逆に文化が人間の心理にもたらす影響を研究する学問です。私の場合は、日本のサブカルチャーや観光、経営などを、日本人の自己像や自尊心の観点から分析しています。ヒーローも研究対象の一つです。欧米と日本ではヒーローのあり方にもかなり違いがありますから、その違いを生み出す文化的・心理的背景に関心を持っています。
――武本先生はグレートサイヤマンをどんなヒーローだと分析しますか。
武本:一言でいえば、彼は今の日本を象徴している存在ですね。
――「日本を象徴する存在」。グレートサイヤマンにはそんなに重大なメッセージが秘められているんですか。具体的にはどういうことでしょう。
武本:グレートサイヤマンのいで立ちや立ち振る舞いには、欧米的なヒーローと日本的なヒーローの要素が入り混じっています。それは欧米的なものと日本的なものが混在している現代の日本社会や日本人にとても似ているわけです。
――そもそも欧米と日本では、ヒーロー像にどのような違いがあるんでしょうか。
武本:文化心理学的にはヒーローは「理想的な自己」と考えられます。現実の平凡な自己を脱して、理想的な自己に変身したい欲望をヒーローに投影しているのです。
その一つの表れが「強さ」です。スーパーマン、スパイダーマン、ハルク、日本ならウルトラマン、鉄腕アトムなど……。欧米と日本の垣根なく、ヒーローは腕力が強いですよね。これは現実の世界や身体的な制限を忘れて、理想的な自己に変身したい欲望を象徴しているといえます。この点では欧米と日本は共通しています。
その一方で、変身の方法には、欧米と日本で違いがあります。例えば、スーパーマンやスパイダーマンは人目を避けて変身しますが、日本のヒーローはまるで自らを誇示して見せつけるかのように変身します。スーパー戦隊もウルトラマンもプリキュアも、変身シーンが見せ場の一つになっていますよね。
――ほんとだ。たしかに違いますね。
武本:この違いはヒーローに限りません。時代劇でも、水戸黄門や遠山の金さんは印籠や桜の入れ墨といったアイコンを見せつけ、自らが特別な存在であることを誇示します。これも変身シーンの一種といえるでしょう。こうした違いは、欧米と日本の文化的・心理的な差異から生まれているというのが、私の考えです。
――なぜ、欧米と日本ではヒーロー像に違いが生まれるんでしょう。
武本:欧米人と日本人の自己像の違いに根本的な原因があると思います。その違いを、私は「言語中心」と「想像中心」の区分で論じています。
一般的な言語学の理論では、人は言語で自己像を形成するとされています。言語学者のソシュールは、言語には「恣意(しい)性」があると論じました。私たちは言語によって世界を恣意的に区別して認識しているというわけです。
例えば、私たちが「イヌ」と「ネコ」が違うものと認識できるのは、それぞれに異なる言語を与えて区別しているからです。同様に「わたし」と「あなた」も言語によって区別されていて、そうした言語による区別を繰り返すことで「わたし」という自己像が浮かび上がってきます。これが欧米人の言語中心的な自己像のモデルです。
一方で、日本人の自己像は、より映像的だと私は考えています。日本には「お天道様が見ていらっしゃる」という言葉がありますね。「お天道様に叱られる」や「お天道様に罪を問われる」ではなく「見て」いるわけです。神的な存在を鏡にして自己を映像として捉えています。これは言語で自己像を形成する欧米人と異なる特徴です。
――その違いがヒーロー像にどのような影響を与えるんですか。
武本:欧米のヒーローの特徴は、善と悪が明確に分かれていることです。バットマンとジョーカーは対局の存在で決して相容れない。「善」と「悪」という言語で区別されているわけです。
一方で、日本のヒーローは、その区別が曖昧ですね。『ドラゴンボール』もそうですが、日本のヒーロー漫画には、かつては敵だったキャラクターがいつの間にか味方になっているストーリーがたくさんありますよね。
善と悪が明確に区別されていなくて、キャラクターがどこか家族のように共通した部分を持っています。 悪の権化のはずのボスキャラも、魔人ブウのようにファニーな存在であることが多いです。もちろん『北斗の拳』のように厳めしいボスキャラが登場する例外もありますが、日本のヒーローにはどこか家族的類似性的な性質があるといえるでしょう。
先ほど、「日本のヒーローは変身シーンを見せつける」と話しましたが、これも映像的な自己像を有する日本人の特徴に起因していると考えられます。日本人にとって、特別なスーツやコスチュームを身に纏(まと)うことは、理想的な自己に変身する上で極めて重要なポイントなのです。
――そうした観点でいうと、たしかにグレートサイヤマンは日本的なものと欧米的なものが入り混じっているような気がします。
武本:そうでしょう? 例えば、グレートサイヤマンは人目を忍んでコスチュームを身に纏いますが、その一方で「グレートサイヤマンだ!!!!」とポーズを取って人前で自らを誇示します。人目を忍ぶのは欧米的、人前で自らを誇示するのは日本的な特徴です。
特に「ポーズ」は日本的な振る舞いです。日本の伝統芸能や武道では、型の反復が重視されますよね。同じ動作を繰り返すことで、自らの身体感覚を獲得し、自己像を浮き彫りにしているのです。ヒーロー戦隊などが変身するときにポーズを取るのも、日本的な自己像の確認といえます。
――なるほど。そのほかに特徴的なポイントはありますか。
武本:腕時計で変身することです。これはとても欧米的な特徴ですね。欧米の近代哲学では、自己とは二重化された存在であり、その二重化された自己の同一性を保証するのが音声言語とされてきました。
例えば、私たちが何らかの言葉を発音したとき、私たちは発音された声を同時に聞いています。この「話す」と「聞く」をセットで行うことで、二重化された自己の同一性を確認できるわけです。しかし、哲学者のデリダは「話す」と「聞く」の間に時間のズレが生じることに着目し、音声言語は自己同一性を担保しないと主張しました
――む、むずかしいですね。
武本:簡単にいえば、時間がある限り、私たちは自分が自分であることを確認するのは難しいということですね。しかし、グレートサイヤマンは腕時計を使って変身します。腕時計という時間を指し示すアイテムが、孫悟飯とグレートサイヤマンの同一性を担保しているわけです。これは欧米的な人間観に基づいているのかもしれません。
――たしかに孫悟飯とグレートサイヤマンは同一人物ですが人格の違いも感じませんか? グレートサイヤマンが悪党たちを説教して諭すシーンがありますが、普段の悟飯なら説教はしません。
武本:説教とは「悪」を「善」に導こうとする行為です。「善」と「悪」を明確に分けるのが欧米的なヒーロー像ですから、それは欧米的な特徴といえます。孫悟飯は大らかで素朴な日本的ヒーローの印象ですが、グレートサイヤマンになるとなぜか急に欧米化しますね。こうした例からもわかるように、グレートサイヤマンは非常に複雑な存在といえます。
――冒頭に「グレートサイヤマンには欧米と日本のヒーロー像が混在している」とおっしゃった意味がわかるような気がします。
武本:ありがとうございます。そして、それは現代の日本社会の姿でもあります。例えば、最近の日本社会では「言語化」が非常に重視されるようになりました。
教育やビジネスの現場では、「ポートフォリオ」「PDCA」「ポジティブコア」といった評価システムが採用され、自らの価値観や強みを言語化する手法が普及しています。
しかし、私の考えでは、日本人は映像的に自己を捉えていますから、言語によって自らを分析したり、たたえたりするのはなじまないはずです。むしろ、そうした活動は日本人の自己肯定感を損ねるのではないかと懸念しています。
――「日本人は海外に比べて自己肯定感が低い」とよく言われますね。
武本:私からすれば、決してそんなことはありません。日本人は「謙遜」のコミュニケーションからもわかるように、言語の領域では慎ましいですが、イメージの領域では自己肯定感に溢れています。
例えば、お相撲さんや空手家といった日本の武道家たちは、寡黙で口数こそ少ない印象がありますが、その表情や立ち振る舞いには自己肯定感がみなぎっています。日本人は自己肯定感を含む自己像のあり方が、欧米人とは異なるだけなのです。
ドラゴンボールの作中では、グレートサイヤマンはややコミカルな存在として描かれています。しかし、それは欧米的な特徴を取り入れすぎて、本来的な自己像を見失いかけている現代の日本人を風刺しているのではないでしょうか。私にはそう感じられます。
――グレートサイヤマンは今の日本を映す鏡であると。意外な結論になりました。武本先生、本日はありがとうございました!
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