2024.02.22
サイヤ人のエリート戦士として共闘していたベジータとナッパ。サイヤ人編にて登場し、ドラゴンボールをそろえて永遠の命を手に入れるために、悟空たちと死闘を繰り広げました。
惑星ベジータの数少ない生き残りとして常に行動を共にしていた二人ですが、ベジータは悟空との闘いに敗北したナッパのことを非情にも切り捨ててしまいます。
ベジータとナッパはいったい、どんな関係性だったのでしょうか?
2人をつないでいた目的意識や独自の関係性について、チームワーク研究を専門に行う村瀬先生に聞いてみました。
語り手:村瀬俊朗さん
早稲田大学商学部准教授。1997年に高校を卒業後、渡米。2011年、University of Central Floridaで博士号取得(産業組織心理学)。Northwestern UniversityおよびGeorgia Institute of Technologyで博士研究員(ポスドク)をつとめた後、Roosevelt Universityで教鞭を執る。2017年9月から現職。専門はリーダーシップとチームワーク研究。
聞き手:いぬいはやと
編集者、ライター。地元関西、東京、長野と土地を転々としながら取材と執筆を行う。ベジータくらい怖い上司の元で働いた経験がある。
――ベジータはさまざまな惑星を侵略し売り飛ばす、戦闘民族「サイヤ人」の戦士として登場しました。同じくサイヤ人の戦士であるナッパとは、少なからず親近感などを感じていたかと思うのですが……
村瀬先生(以下、村瀬):まず、ベジータとナッパの共闘の目的から整理しましょう。二人の目的は、「ドラゴンボールを手に入れて、永遠の命を手に入れること」でしたよね。永遠の命を手に入れれば、ずっと戦闘に明け暮れることができるから。
僕から見ると、二人はあくまで「共通する目的を達成するために邪魔な、共通の敵を排除するために動いている」という関係性にすぎないように見えます。二人とも地球の戦士が邪魔だから、一緒に闘っているだけというか。
――目的達成のために手を組んでいるだけの、ドライな関係なんでしょうか? 作中ではナッパがベジータにタメ口で話しかけたりと、フランクなコミュニケーションをとっているようにも見えます。
村瀬:前提として知ってもらいたいのが、「表面上の会話のスタイルが、必ずしも階級を表すわけではない」ということです。英語には「sir」をつけるなど尊敬語の表現もありますが、上司と部下の間でもフランクなコミュニケーションが行われます。ただ、意思決定権は上司だけが持っていたりする。
反対に、日本語は敬語が重視されるけれど、合意形成自体は「みんなで話し合って決める」を重視されたりしますよね。文字面だけが関係性を表すわけではないんです。
二人の場合、ベジータとナッパは対等なわけではなくて、 ベジータがナッパのカジュアルな表現を許している、という関係なのではないかと思います。
――二人の間にはハッキリとした上下関係があるんですね。それも、ベジータが圧倒的に強い。
村瀬:そう見えますね。サイヤ人なので純粋に「力への尊敬」というものはあるかもしれませんが、ナッパはベジータを怖がっている場面も多々あります。
本来であれば、「先輩に逆らってはいけない」という前提がなく、肩書きや上下関係以前に個人同志の能力を認め合ったり、尊敬しあったりできるのが、チームをつくるうえでベストな関係性です。
ベジータとナッパの関係は、不良の集まりのようなものにも近いかもしれません。
――そうした関係性は、村瀬先生の専門とする「チームビルディング」の観点からみるとどうなんでしょう?
村瀬:あまり良い関係とは言えないですね。ベジータは人間関係を築くのが苦手なのだと思います。
リーダーが歯向かう者には怒鳴り、従わせ、同じ方向を向かせるという組織だと、組織の限界がリーダーの限界になってしまいます。一方で、リーダーとチームのメンバーとの関係性がイーブンであれば、コミュニケーションを重ねるうちにリーダーが気づいていないポイントが表出して、メンバー同士で連携して問題を解決することもできる。
――そう考えると、二人の関係性は「チームだった」とは言いづらいのかもしれませんね。しかし、組織やチームの中での力関係はどのようにして発生するのでしょうか? ベジータの場合は、純粋な「戦闘力」があるかどうか?
村瀬:一般的に、ある関係性の中で「その人の力を頼らないと、◎◎が達成できない」と思われた時、その人は力を獲得します。
しかし、ベジータはナッパよりも戦闘力があり、参謀的な働きも自分一人でできてしまう。
ナッパはベジータにとって、「いてもいなくても、目的(地球人からドラゴンボールを奪い、永遠の命を手に入れること)が達成できる」と思われていたのではないでしょうか。
――ベジータにとって、「これはナッパに頼らないとできない」と思うポイントがあれば、関係性も変わっていた?
村瀬:例えば、ナッパが「戦闘力」以外でもベジータに貢献できていれば、その可能性もありますよね。
ベジータは本作中で、ブルマに「さみしがりや」だと指摘されています。ナッパがもしも、対外的なコミュニケーションによってベジータを支えていれば、あるいは違う結果だったかもしれません。
一般的にチームのゴールとは、「連携することで各個人では達成できないゴールが達成できるようになる」ことです。
ベジータにとって、ナッパは「互いに議論をして、異なるスキルを組み合わせてゴールを達成する」というレベルにいる存在ではなかったのかもしれません。
――こうしてベジータと他者との関わり方を見ていくと、ベジータの人間性も見えてきますね。
村瀬:ベジータは悟空と闘っているときも「おれはすごい」と言い続けていますよね。こういうことを言うのは、実は自分に自信がないタイプの人だと解釈することができます。
言葉の端々から、自分の弱さや弱点を自分で受け入れられずにいることが伺えます。ベジータは自尊感情(セルフエスティーム)が低い人物なんだと思いますね。
自分の弱い部分を受け入れている人は、他者と協力しあいやすいもの。連携をしようとして何かを提案しても、相手のプライドが高いと「おれはこう考えたのに、お前は反論するのか」と反感を買う結果になってしまうかもしれない。
推測に過ぎませんが、サイヤ人の王子としてのプライドから、ベジータには「人を頼る」という発想が生まれなかったのかもしれませんね。サイヤ人の文化に強く影響を受けているのであれば、例えば故郷の星では「誰にも頼らないことは強さの象徴である」といった教育を受けていたのかもしれません。
村瀬:ベジータが一番こだわってきたことは、「自分が誰よりも上であること」でした。“performance orientation(実力本位)”という言葉があるように、彼はプロセスや成長を基準におかず、結果(パフォーマンス)しか見ていない。だから、結果を出せなかったナッパは切り捨てられたわけです。
一方で、悟空は「成長して、強くなること」に喜びを感じています。対照的な存在ですね。そんな悟空の存在を、ベジータも最後には認めることができた。ここは、ベジータの人間的な成長が見えたシーンだったと思います。
――数少ない、ベジータが他者を肯定したシーンですね。
村瀬:実はほかにも、ナッパとの関係性よりもよっぽど人間的なコミュニケーションをしている相手がいます。それは、ナメック星で共闘したクリリンと孫悟飯のふたりです。
これは先ほど話したように、「ベジータ一人では達成できない目的(強敵を撃退する)」があったからこそ起きたコミュニケーションだと思います。
チームにおいては、共通のゴールがあること以外に、ゴールを達成するために「誰が、何を、どうやるか」をすり合わせる必要がありますよね。
自分への負荷が高くなりすぎないように、戦闘する人としてのクリリンたちの価値を認め、すり合わせを行ったのだと思います。
――共闘という意味では、ラストバトルである魔人ブウとの闘いも印象的でした。ベジータが「悟空のために食い止める」と考えたり、「地球人に協力を呼びかける」ことを思い付いたり、これまでと違う動きを見せました。
村瀬:これは成長でしたね。「自分の立ち位置を考えて行動する」「目標達成のために協力を呼びかける」ということができています。
これは、地球での生活がそうさせたんだと思います。戦闘だけではない生活を営むことで、自分と他者との関係性について認識をしたり、自分以外にも重要な個人がいて、人と関わりながら生きていることを理解できた。
それによって、「自分の行動や果たす役割が、他者にとってどれほど重要なのか」もわかるようになったのではないかと。
だからこそ、「他者にも責任をとらせよう」という発想が生まれたのだと思います。人に頼ることができなかったベジータにとって、大きな変化ですよね。
――地球で悟空たちと闘うまで、ベジータは自分中心の人生を送ってきた。いかに自分がすごいか、いかに自分がやりたいことを達成できるかだけに価値を置いてきたんですよね。
村瀬:ええ。でもナメック星での闘い以降、ベジータにも家族ができた。自分主体ではなく、自分と家族という関係性が出てくることで、「人に対する意識」が会話の中に出てくるようになりました。
そんな「自尊感情の低さ」「他者と関わることで生まれた変化」こそ、ベジータを人間的で魅力のあるキャラクターにしたのかもしれません。
――ナッパとのシビアでドライな関係性から変化して、あたたかい関係性を築くこともできるようになったんですよね。
村瀬:能力や戦闘力の高さだけを信じていた初期のベジータでは、いまのような人間関係を築くことはとても難しかったと思います。
一方で、そんな時代のベジータと最も長く一緒に時間を過ごしてきたのがナッパです。ナッパに対しても多少は気を許し、「サイヤ人として自然体でいられる」ような意識があったのかもしれないな、とも思いますね。
――ベジータと他者との関わりを通して、ベジータの人間らしさも知ることができました。先生、今日はありがとうございました!
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