2023.10.26
惑星ベジータの王子であり、誇り高きサイヤ人・ベジータ。悟空を倒すためなら仲間のナッパさえも倒してしまうこともある、まさに孤高の存在です。
しかし、そんなベジータもブルマとの間にトランクスをもうけ、一児の父に。魔人ブウ編ではトランクスを修業で鍛え上げるなど、子どもの成長を見守る様子も描かれています。
かつて、己の強さのみを追い求め、敵を倒し続けてきたベジータが、どのようにして父親になっていったのか。教育心理学者の赤松大輔先生に、ベジータの心理を読み解いてもらうと、かなりエモい一面が浮かび上がってきました。
語り手:赤松大輔先生
京都教育大学講師。京都教育大学大学院教育学研究科修士課程、名古屋大学大学院教育発達科学研究科博士課程後期課程を経て、博士(心理学)。中高生などの外国語学習における学習者の動機づけや学習観に関する研究を行う。
聞き手:島袋龍太
フリーライター。集英社オンライン、現代ビジネス、BizZineなど、WEBメディアを中心に取材執筆。2023年に第一子となる男の子が誕生し、パパ一年目。息子が可愛すぎて溺愛気味なので、将来はミスター・サタンのような父親になりそうな予感がしている。
――もともと、ベジータは誇り高き戦士です。なぜ、あの性格が形成されたと思いますか? 幼い頃に父親のベジータ王を亡くしたことが関係しているのでしょうか。
赤松先生(以下、赤松):原作のセリフを読むかぎり、ベジータはベジータ王の死にそれほどショックを受けていないようです。
一般的に、幼い子どもにとって、親は重要な愛着の対象であり、家族などの重要な他者との死別は心身に一定の影響を与えるとされています。
しかし、ベジータはドドリアとの闘いで「オレには星や仲間や親たちのことなどどうでもいい……」と発言するなど、亡き父親にそれほど愛着を抱いていない様子です。サイヤ人は戦闘民族で幼少期はカプセルで育てられるので、一般的な子どもが形成する親への愛着を持っていなかったと推察されます。
――とすると、何がベジータの人格に影響を与えたのでしょう?
赤松:親への愛着を持てなかったことが、ベジータの人格形成に影響を与えている可能性はあります。乳幼児期の子どもは、親との関わりに基づいて対人関係の枠組みである「内的作業モデル」を形成します。ベジータの場合、早くして父親を亡くしたために内的作業モデルを形成できず、それが後の対人関係の不器用さにつながっていると考えられます。
――そもそも、ベジータは「父親とは何か」を知らなかったのですね。しかし、惑星ベジータの王子だったことは誇りに思っているようです。
赤松:そうですね。物語の後半になっても「サイヤ人の王子」を強調していることから、ベジータの自己認識と「王子」は深く紐付いていると伺えます。
――惑星ベジータは消滅して王位も継承できなくなってしまったのに、なぜベジータは「王子」にこだわるのでしょうか?
赤松:ベジータにとっては、実際に王位を継承できるのかよりも、「自分は王子である」という事実のほうが大切だったのかもしれません。「俺は王子だから絶対に強いはずだ」と、自らの血統を心のより所にして、自分を鼓舞していたのではないでしょうか。
――その後、ベジータは地球に定住して、ブルマを妻に迎えます。この時期にベジータにどのような心理的変化があったと考えられますか?
赤松:ベジータとブルマの関係性は、物語中であまり描かれていないのであくまで推測なのですが、ベジータの心理を読み解くヒントとして、エリク・H・エリクソンが提唱した「心理社会発達段階説」があります。
心理社会発達段階説は、ヒトは年齢や世代ごとの発達課題をクリアすることで健全に成長していくと説いています。ベジータも、この理論が想定する発達課題を乗り越えて、心理的変容を遂げていったように見えます。
――どのような発達課題を乗り越えていったのでしょう?
赤松:ブルマと夫婦になった当時のベジータは30代だと推測しますが、心理社会発達段階説では、20代〜30代前半の成人期の発達課題に「親密性」を挙げています。この時期には、異性と親密な関係を築き、パートナーを得ることが健全な発達を促しますが、その反面、親密性の構築に失敗した場合には「孤立」に陥るとされています。
セル編で青年トランクスは、ブルマがベジータの妻になった理由を「さみしそうな父を見て……」と説明しています。ここからベジータが「親密性」と「孤立」の間で揺れ動きながら、ブルマとの関係を築いていったことが推察されます。
――ベジータも、一人の人間として、パートナーとの関係を築いていったと。なぜ相手がブルマだったのでしょう?
赤松:心理学的には、いくつかの理由が考えられます。例えば、「単に接触する時間が長かった」というケースがあり得ます。これは「単純接触効果」と呼ばれる、興味のないものでも何度も接触することで好意を抱いてしまう現象です。ナメック星が消滅したあと、孤独そうに見えたベジータをブルマは自宅に招いていますし、ともに過ごす時間も長かったのではないでしょうか。その中で、互いに好意を寄せていった可能性があります。
また、ベジータにとって、 ブルマは「本来感」を与えてくれる存在であったとも考えられます。本来感とは、心理学上の概念で、大まかに言うと「自分らしく振る舞える感覚」のことです。
この本来感を得るためには、自分を受容してくれる他者や自分らしく振る舞える環境が必要なのですが、強さにしか興味のないベジータにとって、ブルマの実家であるカプセルコーポレーションは、自分らしさを追求できるこの上ない環境だったはずです。実際に、ベジータはブルマと結婚したのちも、カプセルコーポレーションの施設で修業を続けました。
――人造人間編からセル編にかけて、ベジータには息子が産まれ、青年トランクスも登場します。ついに、ベジータも父親になりますが、性格や行動にそれほど変化は見られません。
赤松:そうですね。青年トランクスに対しても、息子というよりは一人の戦士として接している印象です。
――どういうことでしょうか?
赤松:父親は、パートナーの妊娠、出産、産後の子どもとの関わりを経験しなければ、“父”としての実感が得られず、家族に愛情を持ちにくいとされています。
例えば、子どもの夜泣きをなだめたり、ワガママに付き合ったりするなかで、父親としての自覚が芽生えていくわけです。青年トランクスは急に成長した姿で登場しますから、ベジータが父親の自覚を持てないのも仕方ないことかもしれません。
――子どもが産まれれば、自然に父親の自覚を持てるわけではないのですね。
赤松:一方で、セル編の終盤で、ベジータは青年トランクスが倒されたことに激昂し、セルに闘いを挑みます。この時点ではベジータが青年トランクスに一定の愛情を抱いていたと伺えます。
――たしかに、セルに襲いかかるベジータの様子は尋常ではありませんでした。ということは、どこかの時点でベジータは青年トランクスに愛情を抱くようになったということですか?
赤松:はい。ベジータと青年トランクスがしっかりと関係を持つのは、「精神と時の部屋」でともに修業するシーンのはずなので、ここが二人の絆を育むきっかけになったと考えられます。ただし、ここでのベジータと青年トランクスとの関係が「父子関係」なのか、「師弟関係」なのかは、明らかではありません。
――青年トランクスとともに修業することで「父子の愛情」ではなく、「師弟の絆」が結ばれた可能性もあると。
赤松:そうですね。しかし、一般的な家庭でも「父子」と「師弟」が重なった関係性は生じるので、「父子関係」と「師弟関係」の両方であったとも十分考えられます。例えば、歌舞伎やスポーツの分野では「親子であり師弟」という関係性は珍しくないので、おそらくベジータと青年トランクスもそうした関係性だったのでないかと。
いずれにせよ、ベジータが青年トランクスの死に怒りをあらわにしたのは、何らかの愛情を抱いていたからです。そのことからも、人造人間編からセル編にかけて、 ベジータは青年トランクスとの関わりの中で、父親としての自覚を少しずつ育んでいったと考えられるでしょう。
――その後の魔人ブウ編のベジータは、それ以前のベジータとはかなり印象が変わります。例えば、ちびトランクスと一緒に修業するシーンでは「オレに一撃でも食らわすことができれば遊園地へ連れて行ってやるぞ」と、ごほうびを提案します。
赤松:はい、セル編までの体験を経て、父親として成長している様子が伺えますね。例えば、遊園地のごほうびについても、ちびトランクスは「ほんと!?おとうさんが!?」と反応しています。単に遊園地に行くことではなく、「ベジータが遊園地に連れていってくれること」を喜んでいるわけです。ちびトランクスにとって、ベジータが愛着の対象になっていることがわかります。
もともと、ベジータは父親であるベジータ王に愛着をそこまで持たず、「父親とは何か」を知らずに育った存在でした。しかし、ベジータはちびトランクスに確固たる愛情を持ち、ちびトランクスからも愛着の対象として認識されています。ベジータ王との間には築けなかった父子の関係を、ちびトランクスとは築けたわけですね。
――おお……。それはエモい話ですね。
赤松:原作では描写されていませんが、おそらくベジータはちびトランクスの子育てにも、それなりに深く関わっているのではないかと推測します。なぜそう思うのかといえば、青年トランクスとちびトランクスの性格がかなり異なるからです。
青年トランクスはクールで実直な印象ですが、ちびトランクスはどこかやんちゃで、プライドが高い様子が伺えます。青年トランクスとちびトランクスは遺伝子的には完全な同一人物です。それにもかかわらず性格が異なるということは、 生育環境が両者の性格形成に影響を与えた可能性があります。
青年トランクスは幼いころにベジータを亡くしているので、もしベジータがちびトランクスにあまり関わらなければ、ちびトランクスの性格は青年トランクスに似ていくでしょう。しかし、実際には性格が異なっているので、ベジータも子育てに参加して、ちびトランクスの性格形成に影響を与えたのではないかと推察されます。
――物語を通じてベジータはどのような心理的変化を遂げていったと考えられますか?
赤松:さきほど話した、心理社会発達段階説がかなり当てはまると思います。成人期には、親密性の発達課題をクリアしてブルマとパートナーになっていますし、魔人ブウ編以降のベジータは30代半ばから60歳ごろの発達課題である「世代性」を乗り越えていったと考えられます。
世代性とは、若い世代の成長に貢献することを指します。ベジータはちびトランクスを鍛え上げ、成長を見守りながら、中年期の発達課題をクリアしていったのではないかと思います。
また、心理社会発達段階説では、世代性の発達課題をクリアできない場合、「停滞」を招き、アイデンティティの揺らぎを生じさせるとしています。こうした中年期特有の問題を、心理学では「中年の危機」と呼ぶのですが、バビディとの闘いで敵に魂を売ってしまうベジータは、まさに「中年の危機」を想起させます。
――ベジータが悟空を倒すために自らバビディに洗脳されるシーンですね。たしかに、あのときベジータは「残忍で冷酷なサイヤ人のオレにもどって、なにも気にせず、きさまと徹底的に戦いたかったんだ」と話していました。子どもの成長を喜ぶ反面、強さを追い求めるサイヤ人の本能が失われていくことに苦しんでいたのでしょうか。
赤松:はい。そうした「停滞」の感覚を感じていたと考えられます。しかし、その後、ベジータは魔人ブウを倒すために自爆を決意した際、傍らのちびトランクスに「ブルマを……ママを大切にしろよ……」と伝えています。世代性と停滞の葛藤の末、今の自分を受け入れて、家族愛を取る決断をしたわけですね。
――すごい……めちゃくちゃいい話ですね。
赤松:ベジータは一つひとつの発達課題をクリアして、少しずつ父親になっていった見本的なケースだといえそうです。
――赤松先生、本日はありがとうございました!
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