2023.08.24
ドラゴンボールZを代表する楽曲として絶大な支持を集める『CHA-LA HEAD-CHA-LA』。その作詞を担当した森雪之丞さんは、『WE GOTTA POWER』『僕達は天使だった』など数々の曲を世に送り出し、ドラゴンボールZの最盛期を言葉で紡いできました。
日本語と英語を巧みに融合させ、心地よい韻を踏み、メロディーを歯切れ良く聴かせる。そんな雪之丞さんの歌詞の原点には、少年時代から育んできた「ロックの魂」があるといいます。
作詞家・森雪之丞さんはどんなキャリアを歩み、ドラゴンボールと出会ったのでしょうか。そしてドラゴンボールの世界を彩る名曲はどのようにして生まれたのでしょうか。インタビューでは、“CHA-LA HEAD-CHA-LA”のフレーズに込めた真の思いも語ってくれました。
――雪之丞さんが音楽の道を志すことになった経緯を教えてください。かつては伝説的プログレッシブ・ロックバンド「四人囃子」にも関わっていたそうですね。
森雪之丞(以下、森):四人囃子のメンバーとは同学年で、高校は違うんだけど東京の割と近い場所に住んでいて。当時、ロックをやっている人間はまだそんなに多くなかったので、学校の垣根を越えて集まるしか方法がなかったんですよ。僕はメンバーではないものの、仲間として彼らがプロになってからもライブにゲストとして呼ばれて歌っていました。
時代的にはプログレ(※)ど真ん中だったと思います。ビートルズやローリング・ストーンズも当然通っていますが、キング・クリムゾンやピンク・フロイドといった海外のプログレバンド、それにグラムロック(※)からも影響を受けました。
※プログレッシブ・ロックの略。音楽のジャンルの1つで革新的なロックを意味する。
※1970年代前半、イギリスで起こったムーブメントで派手なメイクや中性的な雰囲気をまとった魅惑的なロックのこと。
――グラムロックの影響が大きかったのですね。
森:はい。青春時代にはグラムロックの雄であるデヴィッド・ボウイから多大な影響を受けました。「雪之丞」と名乗ったきっかけもデヴィッド・ボウイなんですよ。
1973年にデヴィッド・ボウイが初来日したとき、僕は渋谷公会堂で彼のライブを観たんです。そのときの演出が本当にかっこよかった。ファッションデザイナー・山本寛斎さんの書による「出火吐暴威」(デヴィッド・ボウイの当て字)があしらわれた衣装を彼は着ていました。黒子となったスタッフが衣装の引き抜きをして、セミヌードになる演出も素晴らしかった。
それまでのロックの概念を覆すようなシアトリカル(劇場風)な演出やパフォーマンスを目の当たりにして、僕は「ロックって歌舞伎のようだな」と感じたんですよね。 それで歌舞伎の世界の芸名でもある「雪之丞」を名乗るようになりました。
――ロックと歌舞伎。意外な組み合わせですね。
森:ただかっこいい音楽をやるだけではなく、演出や表現、パフォーマンスを追求していきたいという思いが芽生えた瞬間でした。雪之丞の名に恥じないクリエイターとして、パフォーマンス的な要素もある作品を書く。そんな業を自分に背負わせたんですよ。
――雪之丞さんは当初、ソロの歌い手として活動していたのでしょうか。
森:はい。ギターとピアノを多少弾けるので、シンガーソングライターになりたいと考え、曲を書いてはレコード会社に持っていく日々を送っていました。
そのうちに四人囃子のスタッフの紹介で、ナベプロ(渡辺プロダクション)から「木の実ナナさんの歌を作ってくれないか」と依頼されたんです。とはいえ当時の僕は20歳そこそこの若造。木の実ナナさんのような大人っぽい女性の歌が書けるはずもなく、見事にボツってしまって(笑)。
その後、ナベプロの方から「森くんだったらユニークな曲を書けるんじゃない?」と言われて、ザ・ドリフターズの曲を作るというチャンスをもらったんですよ。それが転機となり、1976年に『ドリフのバイのバイのバイ』で作詞家としてデビューしました。
――アニメソングの作詞に携わることになったきっかけを教えてください。
森:アニメソングに関わったのは、子ども向け番組『まんがはじめて物語』(1978年〜1984年TBS系列で放送)が最初でしたね。この番組のオープニング曲やエンディング曲を手がけ、その後はテレビアニメ・キン肉マンのオープニング曲『キン肉マンGo Fight! 』(1983年)など数曲の作詞をしました。
――ロックをルーツとする雪之丞さんにとって、アニメソングの仕事をすることに抵抗はありませんでしたか?
森:それはまったくなかったですね。もともと僕自身、テレビが普及し始めた時代に生まれた、いわゆるテレビっ子なんです。物心ついたころには子ども向けの実写ドラマ番組がたくさん放送されていました。『まぼろし探偵』や『七色仮面』、『怪傑ハリマオ』。それに『鉄人28号』や『鉄腕アトム』も実写のときから見ていましたよ。初期のアニメでは『狼少年ケン』や『少年忍者 風のフジ丸』も好きでした。今の若い人には全然分からないかもしれませんが(笑)。
そして、ドラゴンボールのアニメを見てくれている子どもたちと同じように、僕も主題歌に夢中になりました。僕の時代はアニメじゃなかったけど、子どもたちのために歌ってくれるドラマの主題歌は夢中になって聴いて、夢中になって歌ったものです。そうした原体験があったからこそ、自分がアニメソングを作詞することにはまったく違和感がありませんでした。
――雪之丞さんの作詞におけるこだわりをお聞かせください。雪之丞さんの歌詞には、英語に近い発音や日本語の言葉遊び、韻を踏む、メロディを歯切れよく聞かせるなど独自の特徴があります。
森:アニメソングに限らず、僕は基本的にメロディーのビート感を生かすことを大切にしています。歌い手にとって、歌いにくい歌詞は大変ですからね。
昔の曲作りでは、歌詞が先にできていることが多かったんですよ。演歌でも歌謡曲でもそう。これだと、どうしても古いリズムの歌になってしまうと感じていました。一方で僕らの時代は、新しい音楽だったロックのビートでメロディーを先に作り、日本語をどのようにうまく乗せるかに挑戦してきたわけです。
メロディーが変なところで区切られてしまうと気持ち悪いし、メロディーと言葉がつながっていないのも基本的にはあり得ない。曲が求めているものを踏まえて、言葉に力を持たせていくというのかな。そうした要素はアニメソング、特にドラゴンボールの仕事でも生かされていると感じますね。
――メロディが先に決まっているという状況で、言葉のボキャブラリーに制限がかかることはないのでしょうか。
森:縛りがあるなかで言葉を表現していくという意味では、和歌や俳句と同じだと思っています。俳句や和歌は、「5・7・5」「5・7・5・7・7」と字数が決まっているなかで大きな世界観を表現していきますよね。僕の作詞も同じです。
この制約があるなかで、どんな言葉を選ぶのか、どんなふうに言葉を区切るのかを工夫していく。「ああ困ったな、ああどうしようかな、ああ楽しいな」と、どこかワクワクしながら詞を載せていく瞬間が醍醐味だし、それこそうまく歌詞とメロディがハマれば、『CHA-LA HEAD-CHA-LA』の影山ヒロノブさんのように気持ちよく歌ってもらえるんですよね。
そしてファンの皆さんも同時に気持ちよく聴いてくれる。だから僕はいつも、悟空の「オラ、わくわくすっぞ」という思いで書いていますよ。
――『CHA-LA HEAD-CHA-LA』にまつわるエピソードも教えてください。そもそもドラゴンボールZの作詞を担当することになった経緯も聞きたいです。
森:コロムビアの制作スタッフ陣が依頼してくれたんです。おそらく、僕が担当したキン肉マンの主題歌を聴いて、アニメソングに対する僕の手法や攻め込み方を知ってくれていたんじゃないかな。
そういえばこのサイトには影山ヒロノブさんのインタビューも載っていますよね。そのなかで『CHA-LA HEAD-CHA-LA』の制作にあたって、「僕(影山)がデモを作った」というくだりがあったと思います。僕もよく覚えていますよ。
当時、影山さんは自分のバンドでアメリカンロックのテイストあふれるデモを作ってくれたんですよね。最終的には清岡千穂さんの曲に山本健司さんの編曲が入って、『CHA-LA HEAD-CHA-LA』の革新的なロックサウンドに仕上がった。
ロックといっても、分かりやすい歌謡曲寄りのロックではなく、ギター1本では弾けないような複雑なコードと構成もあります。僕はそこにプログレの雰囲気を感じ取って、自分の中のロック魂がむくむくと湧き上がってきたんです。
アニメソングはそれまでにも書いてきたけど、『CHA-LA HEAD-CHA-LA』は自分にとって新たな転機となる、特別な意味を持つ作品になる気がしていました。
――今さらの質問ですが……「チャラヘッチャラ」とは、どういう意味ですか?
森:まず、最初の「CHA-LA(チャラ)」は「チャラにする=ナシにする」という意味です。続く「HEAD-CHA-LA(ヘッチャラ)」はIt’s OK、「平気だよ」という意味ですね。
今までいろいろな出来事があったかもしれないけど、一度チャラにリセットして平気な状態になり、もう1回スタートする。そんな気分について韻を踏んで表したんです。
頭がカラッポの状態をチャラにするとも言えるし、逆に頭がパンクしそうな状態をチャラにすることで「カラッポ」になり、何が起きても僕は無敵なんだ、ヘッチャラなんだという強い存在になれるという意味も込めているんですよ。
――ヘッド(頭)もチャラ(カラッポ)になっているから、次に何が来ても吸収できるし、受け止めてやるぞと。
森:そうそう。だからヘッチャラの表記は「HEAD-CHA-LA」なんです。
人生にはいろいろなことがあって、ハッピーだったり、時には辛いこともあったりして、痛みを抱えながら人は生きていくんだけど、一度チャラにして元気にやっていこう。そうすれば見えない敵、まだ見ぬ敵にも向かっていける。何かにとらわれている自分をチャラにして頭をクリアにすれば、新しい夢を見られるかもしれない。頭カラッポの方が夢を詰め込むスペースは広いわけですからね。
そんな思いで書いたのが『CHA-LA HEAD-CHA-LA』でした。
――雪之丞さんはその後も数多くのドラゴンボール関連作品を手がけています。これまでの歩みを振り返って、作詞家としてのやりがいをどのように感じていますか?
森:僕の書いた歌詞が誰かの力になる。それを実感できることでしょうか。
ドラゴンボールZの後期オープニング曲になった『WE GOTTA POWER』は、何かに夢中になれたら、大人になっていく過程で人はすごく大きな力を得ることができる。そんな悟空からのメッセージを伝えたいと思って書いたんですよ。
この作品が世に出て何年も経ってから、あるダンサーに出会ったときのこと。そのダンサーから「僕はずっと『WE GOTTA POWER』が好きで、この歌詞の通りにダンスに夢中になって舞台を続けてきたら雪之丞さんに会うことができました!」って言われてね。とても感激しましたよ。自分の書いた歌詞のメッセージが届いて、一生懸命にダンスを続けてくれたわけです。
そうやって実際に「すげぇ奴」になった「君」と出会えた瞬間は、作詞家を続けてきた喜びを噛みしめましたね。
――こうやって雪之丞さんと話しているだけでも、どんどんポジティブなエネルギーが伝わってくる気がしています。誰かを元気にする言葉の力は、どのようにして生まれてくるのでしょうか。
森:世の中には素晴らしい歌がたくさんあり、素晴らしい歌詞を書く人もたくさんいます。そのなかで雪之丞という傾いた名を名乗っている限りは、「他とはちょっと違うな」と常に思ってもらえる存在でありたいんですよね。ナンバーワンを目指すのではなく、オンリーワンを目指していきたい。そんな思いが言葉を紡ぎ出すときのエネルギーになっているように思います。
僕も長年ヒットチャートの世界で生きてきましたが、ナンバーワンって、その時々の基準で簡単に変わるんですよ。 だけどオンリーワンになれば、その価値は簡単には揺るぎません。
ありがたいことに、作家人生47年目に入った今も楽しく仕事をさせてもらっています。僕の言葉を必要としてくれるアーティストやアニメチームや劇団がいてくれるのは本当にありがたいこと。だからこそ僕はこれからも、オンリーワンの存在であり続けたいと思っています。
森 雪之丞(もり・ゆきのじょう)
1954年1月生まれ。大学在学中からオリジナル曲のライブを始め、同時にプログレッシブ・ロックバンド『四人囃子』のゲスト・シンガーとしても活躍。1976年に作詞&作曲家としてデビュー。以来ポップスやアニメソングで数々のヒット・チューンを生みだし、90年代以降は布袋寅泰、hide、氷室京介など多くのロック・アーティストからの支持に応え、尖鋭的な歌詞の世界を築き上げる。これまでにリリースされた楽曲は2500曲を超え、2006年には作詞家30周年を記念しポルノグラフィティ、斉藤和義、高橋幸宏などが参加したトリビュート・アルバム『Words of 雪之丞』が、40周年となる2016年には173曲を収録した9枚組のCDボックス『森雪之丞原色大百科』がリリースされた。
取材:南野義哉
文:多田慎介
撮影:安井信介
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