2023.04.13
悟空の息子・悟天と、ベジータの息子・トランクス。
かつての敵で、バチバチのライバルである父2人に対し、まだ幼いトランクスと悟天は「対決ゴッコ」をして遊ぶ友達同士の間柄です。
そんな2人はお互いの強さを認め合いながら、魔人ブウを倒すために「フュージョン」を特 訓。気をそろえて合体に成功し、悟空不在のピンチの中で一時は最強の戦士となりました。
そんな親友同士と言えそうなトランクスと悟天。2人はどのような過程を経て、絆を深めていったのでしょうか。
前思春期の親友関係を専門とする、臨床心理学の須藤春佳先生に聞きました。
※取材はリモートで実施しました。
須藤春佳さん
神戸女学院人間科学部心理・行動科学科教授。京都大学大学院教育学研究科博士後期課程修了、博士(教育学)。京都文教大学臨床心理学部講師を経て2010年神戸女学院大学人間科学部専任講師として着任し、2022年より現職。専門は臨床心理学。2022年4月より現職。著書に『前青年期の親友関係「チャムシップ」に関する心理臨床学的研究』など。
ーートランクスと悟天は「対決ゴッコ」をして遊んでいます。年齢は明言されていませんが、7〜8歳くらいの子どもは対決ゴッコを通してどのようなことを学び、成長していくと考えられますか?
須藤:主に小学校1年生から6年生の時期を「児童期」といい、エリクソン(Erikson, E.H.)はこの時期の子どもが克服すべき発達課題とそれが達成されなかったときの危機として、「勤勉性 vs 劣等感」を挙げています。
子どもは勤勉に努力し、新しい知識や技能を身に付けることによって、 「自分はできるんだ」という自信を持つことができます。逆にそれができないと、劣等感を抱くことにつながってしまうと考えられています。
現代の子どもたちが生きる世界では、学校の授業や課外活動などを通して社会で必要とされる基礎的な力を身に付けますが、それがこの2人にとっては強さを身に付ける「対決ゴッコ」なのでしょうね。
その後のフュージョンの修業も含め、強くなるために頑張って修業に励み、必要な技能を身に付けていく。肉体的にも精神的にも、修業を通して勤勉性を身に付け、2人は成長していっているように見えます。
自らが修業で強くなるプロセスを踏んでいることは、2人の成長に大きな影響を与えていると考えられますね。
ーー努力のプロセスを1人ではなく、2人で取り組むことの相乗効果もあるのでしょうか?
須藤:児童期において、仲間の存在は非常に大切です。
サリバン(Sullivan , H.S.)は、児童期に生じる大きな変化として、「同輩関係」(peer relationship)をキーワードとして挙げています。
それまでの発達段階で中心的であった親を求める子どもの欲求は、児童期になると生き方を分かち合うような仲間を求める欲求に移っていきます。
児童期の子どもは、同年輩関係の中で、それまでの「自分のしたいことをする」という自己中心的な遊びのパターンから、「相手のことを考えながら一緒に遊ぶ」という相互作用のパターンへと徐々に移行します。相手とコミュニケーションを取りながら他者と競い合う中で、他者の欲求を考慮に入れつつ、折り合いをつけることを学ぶのです。
また、 「社会的判定」といって、子どもが仲間たちから受ける評価は、児童期の重要な関心事です。勉強やスポーツの優劣や、ムードメーカーであるかどうかなど、同年代の子ども同士の比較によって、「自分は仲間と比べてできる/できない」という、自身の得意・不得意を見出します。そして、それを意識する中で自分を客観的に見ることを覚えていく。
ーー他者がいることで、自分の現在地を正しく理解できるようになるのですね。
須藤:同時に、「協業」という、同じ立場にいる仲間との結束を強め、共通のゴール(目的)に向かって協力し合う過程で、仲間を信頼したり、グループ内での自分の役割や立ち位置を見つけたりと、同年齢集団に適応する上で大切なことを学びます。
「あいつが頑張ってるからやろう」「あの人には負けない」といった近い存在のライバルがいることで、子どもは急激に成長することがあります。その点でも、トランクスと悟天が一緒に頑張る効果は大きいもの。
この時期の2人が一緒に対決ゴッコをしたり修業をしたりするのは、彼らの人格形成においてとても大きな出来事と考えられます。
ーー先生から見て、一般的な7〜8歳の子どもと比べたときに、トランクスと悟天はどのような印象ですか?
須藤:おおむね年齢相応な気がします。悟天は1歳上のトランクスを「ボクよりもっと強いんだよ」と評価しており、天下一武道会の対決でトランクスは1歳下の悟天に対し、左手を使わないハンデを与えますよね。
この辺りは「小学2年生だから1年生のお友達には優しくしてあげよう」という感覚と近いように思いますね。実際、この時期の1歳差は身体的、精神的に大きな違いがありますから。
ーー天下一武道会での「左手を使わない」ハンデは、トランクスのお兄ちゃんぶりたい気持ちの表れでもあるのでしょうか?
須藤:そうですね。加えて、戦士として闘いをフェアに行おうとする姿勢の表れではないかと思います。
お互いを認めてはいるけれど、年齢差による力の差はある。トランクスより実力で劣る悟天と同条件で戦ったとして、たとえ勝っても自分が納得できないのかなと。
実際の小学生を見ていると、そんなことは考えずに年上の子が年下の子を圧倒するような場面も多いですから、 トランクスは大人っぽい子だなと思います。
ーー8歳にしてトランクスは戦士であると。一方で、悟天に負けそうになって左手を使ってしまうあたりは子どもらしさも垣間見えます。
須藤:この時期の子どもには「自分が一番でありたい」という気持ちがあるものです。8歳のトランクスは、1歳年下の悟天とフェアに闘いたいけれど、やはり勝ちたい思いは強いのでしょうね。
相手を思いやる気持ちが芽生え始めていると同時に、「最後は自分が一番でありたい」という、相反する思いがある児童期の子どもが、仲間に対して感じる感情をリアルに描かれているように感じます。
それなら最初からハンデを与えなければいいのにとも思いますけど、「お兄ちゃんだからハンデをあげるよ」とカッコ付けたかったところもあるのでしょう(笑)。
ーー逆に、一般的な7〜8歳と異なる点はありますか?
須藤:2人が「選ばれし者」である点は一般的な子どもとの違いだと思います。
悟空とベジータという、特殊な才能を持った父の子どもとして生まれていますから、「親から受け継いだ戦闘民族としての才能を実らせなくてはいけない」という使命感があるのかもしれません。
自分たちが特別な存在だという意識がどの程度2人にあるかはわかりませんが、選ばれし者として「戦わないわけにはいかない」といった宿命のようなものを抱えている、 ある種の「英雄神話」を生きている子どもたちでもあるのかなと思います。
ーー悟空たちがバビディを追ったことを聞いた2人は、「おもしろそーっ‼‼」と盛り上がり、心配するビーデルをよそに悟空たちのもとへ向かってしまいます。この背景にはどのような心理があるのでしょうか?
須藤:「危険なことにチャレンジしたい」「自分たちの力試しをしたい」という気持ちがあるのだと思います。1人では不安なことも、2人なら乗り切れる。特にトランクスと悟天は本当に強いので、「一緒なら何でもできる」という有能感は膨らみやすいのでしょうね。
ーーベジータが魔人ブウとの実力差を悟り、死を覚悟したシーンでは、「そんなことないよ!強いんだぜオレたち!」と、自分たちの強さを過信するようなトランクスの発言もありました。
須藤:魔人ブウという、宇宙レベルの大いなる力に挑むのは命がけであるにも関わらず、自分もまた人間を超えた大いなる力を持っているような錯覚におちいっている。その感覚は、あえて言うなら一種の「自我肥大」といえるかもしれません。
ーーなぜそのような錯覚におちいってしまうのでしょう?
須藤:「ピア(仲間)関係」の結束感が影響していると思います。児童期は仲間との横のつながりを頼りに、共通の目的に向かう心性が高まる時期です。
「隣の家の庭にこっそり忍び込んで果物の実を盗む」といった、本来やってはいけないことを友達同士のノリでやってしまう。そんな悪ノリの延長にあるような気がしますね。
そう考えると、 2人が無謀な行動に出てしまうのは、年相応の自然なことだとも思います。
ーー魔人ブウとの闘いで、トランクスは父・ベジータを、悟天は兄・悟飯を失いました。その悲しみに暮れる間もなくフュージョンの特訓が始まりますが、この時のトランクスと悟天の気持ちはどのようなものだったと思いますか?
須藤:特徴的なのは、「悲しみを怒りに変えて強くなろう」というスタンスです。大事な人を亡くしたことを十分に悲しめているのか、少し心配になってしまいましたが、復讐に燃えることで自分の傷を癒そうとしているのかもしれません。
この年頃の子が親やきょうだいを亡くしてしまったら、もっと何もできなくなってしまうと思います。それを糧に戦おうとするのは、やはり戦士のスピリットがあるのでしょうね。
あとは、それぞれが自分の父を意識しているように感じます。サイヤ人の血を引いているプライドもあると思いますし、「お父さんが倒せないなら自分たちがやるぞ!」という、使命感のようなものもあるのかなと思います。
また、「フュージョン」とは、同じくらいのエネルギー、オーラを持つ2人が合体して別人になるという技のようですが、同等だけれども少し異なる要素を持つ2人が合わさって、1人では出せないパワーを発揮できるようになるというのがとても興味深いです。
ーーこのとき悟空が与えた「くやしかったら新しい技をはやくおぼえてカタキを討て‼」という叱咤はかなり厳しいものでしたが、こういうつらい状況を親友と共有することは、お互いにとっての心の支えにもなりそうです。
須藤:2人が泣いているシーンを見て、2人はお互いに弱みを見せられる間柄なのだと感じました。
私が専門とする前思春期の親友関係「チャムシップ」は、Sullivanによると、9歳前後から生じる関係で、相手の考えを自分のことのように大事に思える間柄であると同時に、お互いの弱さや傷つきを共有し、思いやることができる関係をいいます。
その点で、 トランクスと悟天は、はじめは共に競い合う(児童期の)仲間関係にあった2人ですが、やがて、唯一無二の「親友関係」に発展していったのではないでしょうか。
そして、同じ何かによって家族を奪われた人同士の結束は強まるものです。同じ立場の人間同士、同じ敵を倒すという共通の目的を基に、2人の間にはより強い絆が生まれているのではと思います。
ーー物語の最後には10年後のトランクスと悟天の姿が描かれています。17〜18歳になった2人をどうご覧になりましたか?
須藤:トランクスも悟天も、闘いへの関心は薄れ、平和な時代を楽しんでいるように感じました。悟天は恋人を作るなど、青年期相応の異性への関心も見られます。悟天が異性と一対一の親密性を築くことになった背景には、トランクスとの親友関係において育んだ親密性が基盤にあるのではないかと思います(※)。
2人の関係性の点では、魔人ブウとの闘いに一緒に挑んだ絆は一生消えないでしょうし、 「あの時こうだったよね」といった思い出話をすることもあるのだろうなと思います。
魔人ブウという強敵をみんなで倒す過程で、2人はフュージョンで力を発揮し、平和な世界の実現に貢献しました。地球を守る一族の中の同志、というつながりが続いているのかなと想像しています。
※Sullivanは、同性親友関係であるチャムシップは、以後に異性との親密性を築くための基礎になると言っています。
ーー児童期にトランクスと悟天が親友関係を築いたことは、その後の人生にどのような影響があったと考えられますか?
須藤:トランクスと悟天にとって、自分を形成する上でお互いがかけがえのない存在だったのではないでしょうか。
悟天が生まれたとき、父である悟空は亡くなっています。それを考えると、悟天にとって男性として生きていく上で目指すべきロールモデルはいなかったのかもしれません。兄の悟飯は強いけれど、学者を目指していて、またタイプが違いますよね。
そんな悟天にとって、父のライバルの息子であるトランクスと出会い、競い合って強くなることは、彼が男性としての自分を形成する上で大きなことだったのだと思います。
一方、トランクスにとっての悟天もまた、1人では到底追いつけない偉大な父に近づくための良い相棒だったのでしょう。
お互いが「強い自分」を作る足がかりになってくれる存在であり、特に悟天はトランクスがいなかったら、全く違う人になっていたのではと感じます。
ーー宇宙最強レベルの父を持った2人が、そんな父に近づくために切磋琢磨し、支え合う。そんな関係性でもあるのですね。
須藤:悟空やベジータのような絶対的に強い父は、なかなか乗り越えられない存在だと思います。周りからの期待もあるでしょうし、父の存在が重荷になることもあったかもしれません。
そんな中、同じ気持ちを分かち合える立場の人がいたことは、2人にとってとても心強いことだと思います。
自分1人の力だけでは到底及ばないような何かに向かわなくてはいけないとき、同じ立場で一緒に立ち向かってくれる仲間がいることは、子どもの世界を変えます。この作品の2人の関係から、改めてそんなことを感じました。
取材・文:天野夏海
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