2022.08.25
熱い師弟関係、ストイックな修業、拳と拳を交える戦い……ドラゴンボールには血湧き肉躍る「武道」の世界が広がっています。
では、そうした作品の武道的な側面を、実際の武道家はどのように捉えているのでしょうか。修業や戦いのシーンをプロが読み解くと、何が見えてくるでしょうか。
今回は、ドラゴンボールを愛する武道家で、空手や総合格闘技の選手を経て、現在は後進指導にあたる菊野克紀さんを直撃。「亀仙人の修業ってどんな意味があるの?」「ベジータはなぜ悟空に勝てないの?」など気になるトピックから、作品と武道のつながりを縦横無尽に語っていただきました。
菊野克紀さん:1981年生まれ。武術を格闘競技で実践する稀有な格闘家。重心がそろう一撃必殺の突きや内臓をえぐる三日月蹴りでKOの山を築く。中学・高校時代は柔道部に所属。高校3年の時に格闘家を志し、高校卒業後極真空手を学び、木山仁(第8回全世界空手道選手権大会王者)らの指導を受ける。4年間の内弟子修行を経て23歳で上京。 その後、高阪剛が代表を務めるジムのアライアンスに入門。沖縄拳法空手も学び武術の理合いを競技で実践する。DEEPやDREAMで活躍後、2014年にアメリカの総合格闘技団体「UFC」と契約。2016年から武術エンターテイメント巌流島に参戦しエースとして活躍。2018年に地元鹿児島で自主開催した格闘道イベント「敬天愛人」を最後に試合をしていなかったが、2021年に路上の戦いを想定した格闘イベント「BREAKING DOWN」に出場し、自分より40㎏以上重い元力士を圧倒的なKOで下した。現在「誰でも何歳からでも強くなれる」をコンセプトに「誰ツヨDOJOy」を主宰。また「こどもヒーロー空手教室」にて、強くて優しいヒーローを目指して子ども達と修行中。
聞き手・山田井ユウキ:2000年代から趣味のテキストサイトを運営しているうちにいつの間にか書くことが仕事になっていた“テキサイライター”。小学生の頃、ドラゴンボールを1/100に薄めたような漫画を描いていたことがある。
——昔から感じていたことで、この際ぜひ菊野さんに伺ってみたかったのですが、ドラゴンボールに登場する修業、特に亀仙人の修業っていわゆる「筋トレ」ですよね? 重いものを背負ったり、走り込みをしたり……。具体的な技の繰り出し方を教えないで、武道の修業と言えるんでしょうか?
菊野:……「心・技・体」という言葉がありますよね。
——もちろん。でも、心と体が伴って初めて技が生きる、というのは、正直「精神論」のようにも聞こえて……。
菊野:いえ、心と体を鍛えるのには合理的な理由があるんです。では逆に、山田井さんは「技」と聞いて何を想像しますか?
——かめはめ波のように、名前のついた攻撃方法、でしょうか……?
菊野:そんな大技だけでなく、技というのは“ちょっとした身体の動き”も含みます。実践形式でお教えしましょう。ちょっと胸を貸していただけますか?
——こうですか?
見た目は軽く打っているだけなのに強烈なパンチに
——ゴフッ。
菊野:僕は今、軽く手を振って胸にポンと当てただけです。その単純な動作が、こうして強烈な攻撃技になる。
次に手を貸していただけますか? 初対面ですし、握手しましょうよ。
——うわわわっ!!!!!!!
菊野:軽く手を落としただけですが、ひざまずいてしまいますよね。
——はい。そして、力で抑えられたというよりは「抗えない何か」に屈した感覚です。菊野さんがまるで大木のように見えた……。
菊野:こうした身のこなしは、武道的な「心」と「体」が完成して、初めてできるようになります。
——……菊野さんのすごさは分かりましたが、これと亀仙人の修業に何の関係が?
菊野:「心と体をつくる」という観点で、亀仙人の修業は非常にリアリティがある、と言いたいのです。
武道の修業は 「体の使い方を体に覚えさせていく過程」です。修業を積むと、無意識のうちに合理的な体の使い方ができるようになります。
先ほどのやり取りで説明すると、普段から「手と背中をつなぐ稽古」をしているので、手を軽く振るだけで自然と手に体重がそろう技になったわけです。
——確かに、ボーッとしていると気付かないくらいわずかな動きでした。
菊野:はい。体の中では、そんな「針の穴を通す」ような精密なことをやっています。
これができる体にするためには、例えば、注意点を守りながら空手の型を延々と、全力で繰り返すことが近道だったりします。亀仙人の修業にも近いところがありますね。
型を繰り返すことで、軽く押しただけで相手が吹っ飛んだり、軽くジャンプしただけで空高く跳んだり、ということができるようになるんです。もちろん、基礎体力の向上も無関係ではありませんが、合理的な体の使い方が自然と身についた結果とは言えるでしょうね。
そして、そういう「無意識で出せるよう落とし込んだ技」でないと実際には使い物にならないという意味でも、(亀仙人の修業には)とてもリアリティがあります。
——つまり、一見意味のないように見える動きにも意味があると。そういえば、亀仙人の修業シーンでは、ルールを愚直に守る悟空と、悪知恵を働かせてショートカットしようとするクリリンの対比が描かれていますよね。亀仙人が提案した「崖の上から投げた石をどちらが早く持ち帰れるか」という勝負で、クリリンは悟空に勝利しますが、先ほどのお話に従うなら、その勝利は武道的に「意味がない」のでしょうか?
菊野:そうですね。最終的にクリリンはズルをして勝ったわけではありませんが、修業ですから、勝ち負け自体にさして意味はありません。それよりも、トレーニングの「ルール」やトレーニングで得られるものを考えながら取り組むことが大事だと思います。
そもそも、 トレーニングには「ルール」がないといけません。例えば、「人の体を押す」という稽古を考えてみましょう。「どのように押すのか」というルールがなければ、手で押しても、体で押しても、力で押しても、テクニックで押しても、くすぐってから押してもいいことになりますね。でも、そうすると、この稽古で何を得たいのかが曖昧になってしまう。パワーを身につけたいのか、テクニックを身につけたいのか、身体の操作方法を身につけたいのか。
この「ルール」や「得たいもの」がはっきりしないトレーニングは、鍛錬の意味をなしません。
——なるほど……。僕がよくやるボルダリングでも、力でなんとかしやすい男性より非力な女性のほうが上達しやすい、といった噂も聞きます。
菊野:力を鍛える目的の稽古だったらいいのですが、そうではない稽古なのに、力を使ってゴールにたどり着けたとしても本当に得たいものは得られません。できないことができるようになることこそが稽古です。そして痛みのない成長はありません。
だから、亀仙人は天下一武道会で弟子に「負け」を経験させようとするじゃないですか。
——たしかに。亀仙人の教えの話も出たので、ここからは彼の武道家としての「心」、つまり精神性に迫っていきましょう。同じ武道を極める者として、菊野さんは亀仙人にどんな印象をお持ちですか?
菊野:僕は亀仙人の“軽さ”が本当にすごいと思っているんです。
——軽さ……。確かに亀仙人はおちゃらけた見た目だし、よく冗談を飛ばしますが、なぜそこに注目するのでしょう?
菊野:どの分野でも、活躍して歳を重ねられた人は自覚するしないにかかわらず、威厳や圧が出ちゃいますよね。それは武道の世界も同じで、神様みたいな存在になって誰からも文句を言われなくなってしまう人もいます。
その意味では、亀仙人も「神様」のような存在ですが、ものすごく強くて偉いのにおちゃらけていて接しやすい。僕も亀仙人のようなおじいちゃんになりたいですね。
亀仙人への愛が止まらない
——そんな亀仙人も、弟子の悟空とクリリンには本質的なメッセージを伝えています。
菊野:この言葉、感動のあまりため息が出ます。心身ともに健康になることで、人生を楽しくする。もうこれがね、「答え」なんですよ。これこそが現代における武道の価値だと思います。僕が主宰する「誰ツヨDOJOy」のホームページに、この言葉を引用させていただいています。武道の価値を40年前からこんなにわかりやすく言語化していたなんて、鳥山先生、一体何者ですか?
——そう考えると、悟空とクリリンは素晴らしい師と巡り合えたのですね。
菊野:そうですね。亀仙人の素晴らしさを語る上で欠かせない、2つのシーンを紹介しましょう。
1つ目は、最初の天下一武道会の後、亀仙人が悟空とクリリンを自分のもとから旅立たせるシーンです。
地味に描かれていますが、正直すごいことだと思うんです。一般的に、自分に自信がない師は弟子を他の師や技術に触れさせたくないんです。自分と比べられて、離れていってしまうかもしれませんからね。弟子を自分のもとに置いて、強さや偉さを誇示したいわけです。でも、亀仙人はあっさりと弟子を手放します。亀仙流にとらわれず、世界を見て成長してこいと。弟子を囲わないんですよね。
だからこそ悟空もクリリンも、その度量にほれて、亀仙人を生涯師として慕ったんだと思いますよ。事実、悟空やクリリンは亀仙人の実力を上回ってもなお、「亀」の道着を着て戦いますよね。
2つ目は、先ほども少し触れた、正体を隠して天下一武道会に出場し、弟子と戦うシーンです。
師匠という立場だったら弟子とは戦いたくない。だって、負けたら立場が壊れるから。それでも亀仙人は弟子の成長を願う一心で、弟子と戦った。
亀仙人は二人に負けてほしかったんですよね。一番になるにはまだ早過ぎると。負けること、痛みを感じることで人は成長します。僕も競技の世界にいたので分かりますが、勝つと全肯定されて、負けると全否定される。でも、そういう恐怖や悔しさがあるからこそ大きく成長するんです。
——まさに理想の師弟関係ですよね。菊野さんもこれまでキャリアでさまざまな師と出会ってこられたと思いますが、中には亀仙人のような師もいたのでしょうか?
菊野:高阪剛先生でしょうか。
総合格闘技では多くの選手がボクシング、キックボクシング、レスリング、柔術を学びます。
僕が総合格闘技を学んだ高阪先生のアライアンス(高阪さんが主宰する総合格闘技道場)でもそれらを軸に指導されてました。でも僕は次第に武術に傾倒し、みんなと違う練習をするようになりました。高阪先生はやりづらかったと思いますが、そんな僕も否定せず、勝てるようにサポートしてくださいました。一般的には、自分の優位性を示すためについつい他を否定してしまうものですが、高阪先生のマインドは開かれていました。
郷里の鹿児島県で開催された格闘技イベント「敬天愛人」で無差別級トーナメントに出場した時の様子(菊野さん提供)
——そんな亀仙人と対照的に描かれているのが鶴仙人です。いい意味で武道に固執せず人生を楽しむ亀仙人に対し、鶴仙人はとことん技術を磨き、その過程で人を殺めることもいとわない。二人の違いを、武道家としてどうご覧になりますか。
菊野:鶴仙人ってすごく「人間的」だと思うんです。武道の世界にも“権力の鎧を着ているような”師範はいますが、僕を含めてそういう人ってどこかで自信がなかったり、劣等感を抱えていたりするのだと思います。
鶴仙人が弱い者を痛めつけたり、弟子を囲ったりするのも、自信のなさを埋め合わせるためなのかもしれません。自分の弱さと向き合って乗り越えるもよし、いい意味で諦めるもよし、前に進みたいですね。
僕は小学生の頃、心が弱くて人間関係をうまくつくれず、孤独な時期がありました。だから孫悟空のように強くて優しいヒーローに憧れ、中学から柔道を始めました。少しずつ強くなり、自信がつき、人間関係が良くなり、学校が楽しくなりました。亀仙人が説くように、強くなることで人生がハッピーになりました。それこそが武道の価値だと思います。
——鶴仙人に「弱さ」や「人間臭さ」を見出す視点は、武道家の菊野さんならではです。
菊野:僕の心の中にも鶴仙人がいます。多分みんなの中にも。人間だもの。劣等感は誰にでもあると思いますし、劣等感自体は大切な原動力ですが、それをこじらせると鶴仙人になってしまいます。自分の弱さを認めるのはしんどいので隠したくなりますよね。僕も“鶴仙人の誘惑”と戦いながらも、亀仙人のようでありたいと日々修業しています。
人は誰しも、亀仙人と鶴仙人の両面を持ち合わせているのかもしれません。
——深いですね……。まるで魔人ブウのように、一人の人間が抱える二面性を、それぞれ具現化したのが亀仙人と鶴仙人だと。
菊野:僕はそう思います。誰しも一度は「鶴仙人」になって成長していく。いや〜応援したいですね、鶴仙人。
——二面性という点で、やはり触れておきたいのが悟空とベジータの対比です。サイヤ人の王子に生まれながら「下級戦士」の悟空を超えられないベジータ。二人の間にはなぜ差がついてしまったのでしょうか?
菊野:肉体的なスペックをおいて考えるのであれば、「目的」の違いなのだと思います。
——目的の違い。どういうことでしょうか?
菊野:ベジータは戦うことが好きだと思いますが、あくまで勝つことや自分の強さを示すことが目的なのだと思います。承認欲求に近いのかもしれません。それに対して悟空は、戦いそのものを楽しんでいるように思います。この目的の違いって、実はとても大きくて。
少し、僕自身の話をさせてください。僕は2014年にアメリカ合衆国の総合格闘技団体「UFC」に参戦しました。UFCは2連敗すると即解雇される、とても厳しい世界。だから、僕はとにかく「勝ち」にこだわりました。
2勝1敗で臨んだ4戦目。出来る限りの努力をして、ブラジルまで行って臨んだ試合で、僕は何もせずに負けました。
UFCに所属していた頃の菊野さん(菊野さん提供)
攻めるためには、相手に近づかなければなりません。が、近づくと攻められるリスクも当然大きくなります。僕は勝ちたいという思いからそのリスクを取ることを躊躇し、その間に攻められてKOされました。
悔しくて、悔しくて、試合後さらに出来る限りの稽古を積み、次の戦いに挑みました。結果は……何もせずに秒殺負け。やはり勝ちたいが故に攻めることができず、その間に攻められ、ノックダウンされてしまいました。その後、僕はUFCを解雇され、キャリアのどん底に落ちます。
——菊野さんもかつては「勝つ」ことにとらわれていた、と?
菊野:そうです。そして、そのことに気付かせてくれたのが、UFC解雇後に受けたコーチングでした。コーチングで学んだのは、「コントロールできない未来や過去を気にしても仕方ない」ということ。「コントロールできるのは今だけ」ということ。
勝ち負けは結果、結果は未来、未来はコントロールできない。一寸先には、病気も怪我も事故もありうるし、極端な話、1秒後に隕石が落ちてくる可能性だってある。そして、そのコントロールできない未来に不安や迷いを抱けば、パフォーマンスが落ちてしまう。
コントロールできない未来を手放し、コントロールできる「今ここ」に集中すること。そうすれば、結果はどうあれ、少なくとも自分が今発揮できる最大のパフォーマンスを引き出せるはずと。
僕はビビりな自分が嫌いで、悟空のように勇敢な人になりたくて格闘技を始めたのに、「勝ちたくてビビってしまう」というのは本末転倒でした。
勝ち負けを手放し、戦うことそのものに目的をおいて「今ここ」に集中できるようになってから、僕は自分の土俵で一回も負けていません。ブラジルで負けたUFCファイターにもリベンジできました。
——その考え方は、先ほどおっしゃった悟空とベジータの違いにも当てはまりますよね。
菊野:はい。ベジータは勝つという「結果」や勝った先の「未来」を求めて戦う。その過程で生じる不安や迷いで、パフォーマンスを落としているはずです。一方、戦いそのものを楽しむ悟空は未来ではなく「今ここ」を全力で生きています。そこには不安も迷いもなく、必然的に最大のパフォーマンスを発揮できていると思います。そして、それを繰り返していく中で、悟空はどんどん強くなっていきます。
そういえば、悟空って戦いを楽しむあまり、たまに「勝ち負けなんてどうでもいい」という雰囲気を醸し出すことがありますよね。
——ありますね。例えば、セルゲームで、地球が滅亡するかどうかの瀬戸際にもかかわらず、敵のセルに仙豆を渡すシーンは象徴的です。
菊野:実戦で敵に塩を送るかどうかは置いておいて、悟空のあの「今を全力で楽しもう」という姿勢から見習うべきところは多いと思います。
——悟空の生き様に武道家のマインドが息づいていることが理解できました。では最後に、菊野さんが武道家としてドラゴンボールのベストシーンを選ぶなら、どこでしょうか。
菊野:これは結構悩みますね……。「今を全力で楽しむ悟空」という視点でパッと思い浮かんだのは、マジュニアと悟空の戦闘シーンです。悟空の、絶体絶命でも諦めない姿勢に心が熱くなりますが、それにもまして「場外で勝つ」という結末にシビれませんか?
だって、この場で悟空だけがルールを守って戦っているんですよ? 世界の平和という未来を手放して(笑)。 「ルールを守る」という振る舞いは今に全力投球しているからこそ出てくるものだと思います。
そういう意味で、悟空の精神性は今の時代でもまったく古びていない。彼は僕にとって、これからも、これから先も憧れの武道家です。
このサイトは機械翻訳を導入しています。わかりにくい表現があるかもしれませんが、ご了承ください。
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