2022.05.26
甲子園、プロ野球、WBC、メジャーリーグで伝説を残し、2021年に現役生活を終えた松坂大輔さん。そんな野球界のヒーローが幼い頃から憧れ続ける「永遠のヒーロー」は、孫悟空です。
ナメック星へ向かう宇宙船の中で限界まで自分を追い込む姿、仲間の思いを背負って強敵に立ち向かう姿、自分より強い敵に「ワクワク」しながら挑む姿。その全てが松坂さんの辛い時、苦しい時を支えました。ある時は悟空の背中を追いかけ、ある時は悟空と自分を重ね合わせるようにマウンドへ立ち続けてきたそうです。
栄光の裏で、常に逆境の連続だったプロ野球人生。それを支えたドラゴンボールとの思い出を語っていただきました。
※取材はリモートで実施しました
――松坂さんは1980年生まれ。『ドラゴンボール』の連載開始が1984年、アニメ放送開始が1986年なので、ちょうどドラゴンボール世代のど真ん中にあたりますね。
松坂:連載が始まったのって、そんなに前だったんですね。ちょっと驚きました。
僕が初めてドラゴンボールに触れたのは小学校低学年の時、父親が持っていた『(週刊少年)ジャンプ』だったと思います。トラックの運転手をしていた父の仕事について車の助手席に乗っている時に読んだんでしょうね。アニメも観ていました。当時は確か水曜日の夜7時から放送していて、ちょうど野球中継の時間と重なるんですよ。だから、父親にお願いしてその30分だけはドラゴンボールにチャンネルを合わせてもらいました。
滞在先のボストンからリモートインタビューに応じる松坂さん
――松坂さんが小学生だった1986年から1992年にかけて、レッドリボン軍編、ピッコロ大魔王編、サイヤ人編、フリーザ編と物語は続いていきますが、特にどのあたりのストーリーから一気にのめり込んでいったのでしょうか?
松坂:僕はもう、連載初期の頃から熱中していたと思います。一回目の天下一武道会を前に、悟空とクリリンが亀仙人のもとで修業するところなんかも、強く記憶に残っていますね。悟空たちの真似をして、友達と一緒に修業ごっこをして遊んでいました。さすがに崖の上から飛び降りることはなかったですけど(笑)。
――悟空たちは亀の甲羅を背負って修業していました。もしかして、松坂さんも……?
松坂:さすがに亀の甲羅ではないですけど、“重量トレーニング”はやっていましたね。亀の甲羅以外にも、重りをつけたまま戦い、いざという時に外すことで強くなるシーンがあるじゃないですか。その影響で、僕も野球の練習の時、手首と足首に重いリストバンドをつけてトレーニングするようになりました。
重いものを背負って修業するシーンは作中にたびたび登場する
――当時の子どもは悟空たちの「重い道着」に憧れていましたよね。修業以外で印象に残っているシーンはありますか?
松坂:たくさんありますが、例えばトランクスが「精神と時の部屋」で修業したあと、セルと戦うシーンですね。パワーに意識を向けすぎて、スピードがついてこなくなってしまうっていう。あれは子どもながらに衝撃的でしたし、やはり鍛えるにもバランスが大事なんだなと改めて思いました。野球でも体を大きくして出力を上げることは大事なんですけど、筋肉をつけすぎると逆に球速などのスピードが落ちてマイナスに働くこともある。ドラゴンボールが野球に通じる部分は、たくさんあると思います。
――今でも作品に触れる機会はありますか?
松坂:ゲームアプリの『ドッカンバトル』はやっています。それから、昔の作品もたまに読み返しています。緊急事態宣言が出てずっと自宅で過ごしていた時は、漫画を1巻から読んで、小学生ぶりにクウラが登場する映画を観ましたね。
――改めて読んだり観たりすると、子どもの頃とは違う感想を抱いたりもしますか?
松坂:子どもの頃はシンプルに“絵の力”に惹かれていました。戦うシーンやキャラクターが本当にかっこよくて。ただ、大人になってからはそれだけじゃなく、例えば悟空のセリフひとつにハッとさせられることがあります。「悟空って、じつはこんなこと言ってたんだな」って。今になって思い返すと、子どもの頃からそうした言葉に影響されていた部分はあったのかもしれません。
――特に、どんなセリフが印象に残っていますか?
松坂:悟空が初めてベジータと戦った時に言った「落ちこぼれだって必死で努力すりゃエリートを超えることがあるかもよ」というセリフですね。敵わないと思った相手でも、自分の努力次第で越えられるんだと、勇気を与えてくれました。
――それこそ松坂さんの野球人生でも、ベジータのような強力なライバルが次々と登場しましたよね。
松坂:そうですね。小中高、プロと野球をやってきましたが、それぞれの年代でベジータ的な存在というか、意識するライバルは確実にいましたね。そういう選手がいたことで、負けられない気持ちを奮い立たせてもらえたところはありました。
悟空って、強敵が現れると「ワクワクする」と言って喜ぶじゃないですか。僕も強いチームや素晴らしいバッターと対戦するのが楽しい、うれしいという気持ちを常に持っていましたし、悟空と同じように逆境を楽しむことで力に変えていたように思います。
――ちなみに、松坂さんが一番好きなキャラクターはやはり悟空ですか?
松坂:そうですね。悟空は僕にとって一番のヒーローですし、これからも憧れ続けていく存在です。だから、作中ではところどころ悟空が出てこない時期もあるんですけど、正直やきもきしましたね(笑)。例えば、界王さまのところで修業をするために蛇の道をひたすら走ったり、人造人間編で心臓病になってしばらく出てこなかったりした時は、毎週ジャンプを読みながら「早く出てきてくれよ、悟空!」と心の中で叫んでいました。
――特に、悟空のどんなところに惹かれますか?
松坂:もちろん強くてかっこいいところですけど、勝つために努力をするところにも惹かれます。例えば、ナメック星に向かう宇宙船の中で、自分を限界ギリギリまで追い込むようにトレーニングする姿には憧れました。自分も練習できつい時はそんな悟空の姿を思い出し、苦しい時こそ、もう一踏ん張りしようと。
それから、悟空といえば命をかけて仲間を守る自己犠牲の精神ですね。自分の身を削ってでもみんなのために頑張る心のようなものは、悟空が教えてくれたと思います。
――松坂さん自身、エースとして多くの人の思いを背負ってきました。悟空と自分自身を重ね合わせることはありましたか?
松坂:あったかもしれません。高校時代は“One for all,All for one”という言葉をグラブに刺繍して、練習や試合に臨んでいました。一人はみんなのために、という考え方は仲間を思いやる悟空の精神につながるところがあると思います。やはり、思い切り影響を受けていますね。
――先ほど「逆境を楽しむ」という言葉がありましたが、松坂さんの野球人生のなかで一番の逆境は何だったのでしょうか?
松坂:一番きつかったのは、高校に入学した当初ですかね。めちゃくちゃ厳しい練習と慣れない寮生活で体力的にも精神的にも追い詰められ、最初の3か月くらいは本当に苦しかったです。あの頃にだけは、いくらお金を積まれても絶対に戻りたくないくらい。ただ、ここを乗り越えればレベルアップできる、レギュラーに近づけると思いながら、なんとか食らいついていました。
――その苦しかった3か月は、その後の野球人生の糧になりましたか?
松坂:そうですね、もちろんその後の練習もきつかったですし、プロに入ってからもしんどい時期はありましたが、あの15歳の頃のきつい経験が心を強くしてくれたことは間違いありません。
それこそ、悟空の息子の悟飯が初登場した時、ピッコロにさらわれて修業をさせられるじゃないですか。あの頃の悟飯は本当に辛かったと思いますけど、修業を重ねるなかで精神的にどんどんタフになっていく。あの姿には当時の自分も勇気づけられていました。悟飯の場合は肉体的・技術的な成長だけでなく、心の成長を見せてくれるのも魅力ですよね。
――松坂さんも苦しい3か月を乗り越え、1年生の秋からベンチ入り、2年生からはエースになります。当時、自分がどんどんレベルアップしている実感はありましたか?
松坂:ありましたね。自分が野球選手として最も伸びた時期は高校時代だと思います。特に、当時の横浜高校でコーチをしていた小倉清一郎部長が、僕の体を強くしてくれました。いつも何かしらのテーマを与えてくれて、それをクリアするための努力の仕方を教えてくれたんです。3年間ずっと稽古をつけてくれて、成長するきっかけを与えていただきました。僕にとっては亀仙人であり、カリン様であり、ミスター・ポポのような存在ですね。
――では、松坂さんにとって「神様」のような存在は誰ですか?
松坂:西武ライオンズに入団した時の監督だった東尾(修)さんですね。僕が迷った時に道を示してくれるような存在で、本当に神様みたいでした。
――最後の質問です。いま、ドラゴンボールを7つ手に入れたら、松坂さんは何を望みますか?
松坂:現役中、怪我をしている時期はずっと「仙豆がほしいな」と思い続けていましたが今だったら、なんだろう……。そうですね、「25歳の時の肉体を与えてほしい」でしょうか。もう一度、全力で投げたいですね。
――昨年引退されましたが、今も投げたい気持ちは残っているんですね。
松坂:投げたい気持ちもありますし、ピッチャーとして対戦したいバッターもたくさんいます。例えば、25歳の自分が大谷(翔平)選手と対戦したらどうなるんだろうと考えたり。現役の強打者を見るとワクワクしますし、そんな強い相手と戦いたい気持ちはどうしても芽生えてしまいますね。
今は現役を離れ、人生で初めて外から野球を見ています。これはこれで楽しいんですけど、悟空のように「強い相手と戦いたい」という気持ちはずっと失うことなく、これからも過ごしていくんじゃないかと思います。
松坂大輔さん:1980年生まれ、東京都出身。小学校3年生から本格的に野球を始める。横浜高校時代には甲子園で春・夏連覇を達成し“平成の怪物”と呼ばれる。プロ入り後は西武ライオンズやボストン・レッドソックスなどで活躍。2021年の現役引退後は野球解説者としてさまざまなメディアに出演する。
取材・文:榎並紀行(やじろべえ)
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